2015年03月10日

痛み、感情、認知・・・

先日のインテグレーティブワーカー養成トレーニングで、疼痛が発生するプロセスに関して講義を行っていた際に、旧脊髄視床路についてか、皮質から下行する伝達路についてか、確かその辺りの説明を行っていたときに、話の流れで、話題が感情の扱い方とか、認知行動療法についてのことになった。

痛みというのは、単に「痛い」という感覚だけのものではなく、痛みを訴える個人ごとの感情を伴っている。
そして感情は、その個人が痛みをどう捉えるか、自らの環境の中で痛みをどう位置づけているのか、といった認知に深く根差している。

現在、この認知の部分に働きかけて、痛み行動(痛みを訴える、痛みのために行動を控える、など)を見直し、痛みを軽減(認知を起点とする症状を解消)する方法として、医療の分野においては、認知行動療法がしばしば用いられるそうだ。


今では昔話になるが、ボディワーカーの多くが、「カタルシス」という言葉のもとに、クライアントに「感情発散」を行わせていたことがあった。
身体+心理系セラピーの旗手たちが、「未完の体験を完了させなければならない」という考えのもとに、そのための方法として、物を叩いたり、叫び声を上げたりすることをクライアントに強いていた。
その影響を被ってのことだ。

「未完の体験」とは、「何らかの理由で感情的に抑制されて、未だ完了していない体験」を意味する。
彼ら旗手たちは、現在の問題が起こっているのは、あるいは症状が生じているのは、この「未完の体験」があるからだと主張していた。

防音設備の整った部屋で、道具を用いて、感情を繰り返し発散させる。
しかし、問題や症状の原因となった体験から来る感情をリピートすればするほど、その体験の影響を強化してしまうことになる。
物を叩いたり、思い切り叫び声を上げたりしても、その場かぎりの満足しかない。
そればかりか、暴力に及んだり、叫んだりすることを手段にして、その場の満足を求めるようになる(学習してしまう)。
それでは、問題解決の能力を奪ってしまうだろう(現に、そのようなケースを数多く知っている)。


私は、前職(心理カウンセラー)に就いていたときに、認知行動療法を学んだことがあった。
それもあって、「感情発散」が問題の解決や症状の解消につながるとは全く思っていなかった。
当時、「カタルシス」流行りにも、身体+心理系セラピストたちの言い分にも辟易していた。


現在、疼痛解消テクニックの研究を行っていて、痛みとの関係で、再び、感情について考えるようになった。
感情に対する新たな捉え方が、私の中に芽生えてきている。
posted by baucafe at 23:20| Comment(0) | TrackBack(0) | ◇徒然日記
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