彼女は、線維筋痛症と診断された。
彼女にとって、身体が自分のものだという実感は、微かな記憶となっていた。
過度の緊張と痛みが、身体に対する疎外感を生じさせていた。
戦く身体を、自分で制御できるとは思えなかった。
手足などの身体の末端は、自分のものとは感じられず、血は通っていないかのようだった。
それらの部位は痙攣し、あるいは硬直し、体温は低下していた。
思うに、私が行ったのは、身体を取り戻すのを手伝うことだった。
長い道程だったが、筋肉は弛緩し、痛みと硬結は解消し、血は通い始め、体温は上昇した。
やがて、身体に対する所有感が戻ってきた。
痛みは、身体の自由を奪うだけでなく、心をも拘束する。
心身は引き裂かれ、制御不能となり、生活は脅かされる。
だから、痛みとの戦いでは、心-身の解放が合言葉となる。
痛みは、伝達路を利用して、至るところに出現し、逃走する。
しかし、痛みがどこに出現しようと、どこに隠れようと、そこは自分自身の土地なのだ。
痛みを追跡するのでなく、私たちは、その土地を耕し、養うことから始めなければならない。
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