先日、オープンパス認定インテグレーティブワーカー養成トレーニングの補講を行いました。
エンドフィールの実習に多くの時間をかけました。
その際、エンドフィールについて、少し何か書きたいと思いました。
エンドフィールというのは、膜組織を押圧したときの制限感覚、手技に対して反発する感覚のことです。
この感覚が分かるからといって、必ず効果的な施術ができるわけではないのですが、分からなければ、膜を操作する施術を行うのは難しいでしょう。
エンドフィールが得られる前に、制限の手前で手技を止めてしまえば、膜を効果的に伸長することはできません。
それでは、単に「さわっているだけ」のことに過ぎません(それだけでも組織は弛むので、多少の変化は起こりますが、「明白な結果」(注1)には至らないでしょう)。
(注1)オープンパス・メソッド(R)のデモンストレーションをご覧になられた方には、「明白な結果」の意味が分かるでしょう。
それでは、制限を無視して進んでしまった場合には、何が起こるでしょう。
組織を傷つける可能性があり、組織は施術前よりも悪い状態になるかもしれません(ひどいことにならないのは、組織の柔軟性、回復力に助けられているからでしょう)。
10数年前、ボディワーク業界で、強圧で施術を行う者たちを否定し、排斥しようという声が上がりました。
今から振り返ると、「強圧がよくない、弱圧がよい」というのは的外れな意見、考え方であり、圧など強かろうが弱かろうが、エンドフィールを得られなければ、何の意味もありません(働きかけに見合った効果を導き出せません)。
エンドフィールを得る方法を生徒に伝えようとするとき、私たちは組織の制限を「探す」ように言います。
自分のセッションでは、組織の制限を「探す」ことなど皆無だというのに、そうするように言うしかありません。
そして、そう言うと、多くの方は感じようと懸命になります(注2)。
感じようとして、考え、想像し、それがときには妄想にまで発展します(笑)。
本当は、感じることだけを感じ、感じないことを感じようとしてはなりません。
(注2)「考えるな、感じろ」という言葉が、ボディワーカーの標語のようになっていますが、これは対・初心者用の言葉であって、習熟の過程にある者に対しては、「感じるのはおまえじゃない」と付言しなければなりません。
私たちは最近、組織の制限を「探す」ように言うと同時に、(頭ではなく)手が(≠手で)探し始めるように(注3)指導しています。
極端な場合には、「感じるな」とまで言います。
「感じる者」が出しゃばらないようにするためです。
(注3)オープンパス・メソッド(R)の用語を使って言えば、「無人称的に」「非意識的に」ということです。
手は考えたり、想像したり、迷ったりしないので、情報を素早く感知します。
エンドフィールには、クライアントの身体に「手」が触れるや否や到達し、「私」は後からそれ(到達)を感じます(注4)。
(注4)先日、傾聴について書きましたが(*)、傾聴が行われる際にも、「頭」は介入すべきではありません。
傾聴も本来、素早い技術です。
「じっくり聴く」などは、妄想するに等しく、自分の考えに耳を傾けているのであって、相手の身体から遠ざかる行為であるかもしれません。
2015年05月19日
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