2015年05月29日

エンドフィールについて(2)

先日、インテグレーティブワーカー養成トレーニングの補講を行い、その際、エンドフィール(注1)の実習に多くの時間をかけました。
本日また、エンドフィールをテーマに個人講座を行うことになりました(別の方に対して)。

(注1)膜組織を押圧したときの制限感覚、手技に対して反発する感覚のこと。

エンドフィールというのは、絶対的なもの(注2)ではありません。(注3)
それは常に、自分が行うワークに見合ったものです。
セッションで何を目標とするかによって、膜組織の捉え方も、ワークの起点となるエンドフィールも違ってきます。
セッションの目標は、常に同じではないでしょうから、セッションごとにエンドフィールが違う可能性もあるわけです。

(注2)「これが唯一のエンドフィールだ」と言うことはできません。

(注3)先日の記事では、エンドフィールを得る上での注意点などについて書きましたが、今回の内容は、エンドフィールを得られた上での話です。

自分が行おうとしているワークに見合ったエンドフィールから始めなければ、たとえ結果は出せたとしても(注4)、望み通りとはいかないでしょう。
例えば、浅筋膜をリリースしたいときに、深部筋膜の制限で待っていては、思い通りの結果を期待できません。

(注4)エンドフィールを得て(制限のある地点で)待つだけでも、身体構造が変化することをお伝えしました。


制限のある地点で待っていると、多くの情報を得られます。
特に関節感覚を働かせながら待っていると、全身に情報が流れ込みます。
その際、自分の得たエンドフィールが適切でないと、過度のノイズが入ってきます(注5)
そういう意味でも、「見合ったエンドフィール」が必要なのです。

(注5)しかし、適度のノイズは必要です。
特に、ワークの方向性を変える必要が生じたときには、ノイズを利用します。


本日は、以上のような内容をお伝えしながらの実習となりました。
エンドフィールを得るだけでなく、制限で待ち、傾聴し、膜連続体を通して疼痛の起点を見つけ出し、疼痛解消を行いました。
私がクライアントモデルになったのですが、左下腿と左足底にあった疼痛が解消し、身体バランスが大きく変わりました。


ところで、先日の記事の(注)で、私は以下のように書きました。
「『考えるな、感じろ』という言葉が、ボディワーカーの標語のようになっていますが、これは対・初心者用の言葉であって、習熟の過程にある者に対しては、『感じるのはおまえじゃない』と付言しなければなりません」

「感じるのはおまえじゃない」とありますが、私たちは習熟の過程で、この「おまえじゃない」現象を体験するようになります。
すなわち、「私」が感じなくても、身体(手)が感じ、「私」に行為させるようになっていきます。

習熟が進むにつれて、しだいに身体(手)が全てを行うようになります。
施術に関わる情報の多くが「私」(意識)を素通りするようになるのです(注6)
「私」(意識)は個々の技術にではなく、セッションという「場」の管理や、目標への牽引、目標の再設定などのためにだけ働くようになっていきます。

(注6)自転車に乗れるようになる過程を思い浮かべてみてください。
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