2019年09月14日

弱々しい手で、ふるえながら・・・

子供のころ、自分のうちが畳屋なのが、恥ずかしかった。
ふと、そんなことを思い出した。


朝から晩まで、ほこりだらけになって働いて、父の指は太く、たこができて、汚れが染みついていた。
かなりの大家族で、職人さんもいっしょで、食事は大皿をつつき合った。
4時とか5時とかに早起きして、母を手伝って、釜でご飯を炊いた。

友達のお父さんは、ピシッとした背広を着ていたり、カタカナ読みの仕事をしていたりで、うらやましかった。
うちの父は、いつもはんてんに雪駄のいでたちだった。

母はいつも忙しく、かまってくれず、私を叱ってばかりいた。
大きな声で、笑ったりどなったり、うるさくて頭にきていた。


・・・
長い年月がたって、今思うのは、ありありと思い出すのは、違った向きの記憶だ。

重い新床の畳を数枚かついで、アパートの狭い階段を駆け上がる父(すごいと思った・・・)。
どこへ行っても、何を見ても、目視でその寸法がわかってしまう父。

ものすごい速さで走り、鉄棒で大車輪をする父。
とんでもなく高いところから飛び降りて、何ごともない顔をする父。

自転車がほしいと言ったら、忙しい家事の合間にアルバイトをして、買ってくれた母。
数えきれないくらい、私と妹を旅行に連れていってくれた母。

バッグや洋服を作って、自分で使ったり着たりするだけでなく、原宿の店で売っていた母。
私と妹の入学金をかせぐために、国鉄のキオスクで働いた母。

くも膜下出血でたおれて、口がきけなくなっても、笑顔を絶やさなかった母。
そして、ついに寝たきりになっても、明るく笑っていた母。

弱視になって、自分の少し前も見えないのに、自転車をこいで入院中の母に会いに行った父(これは、やってはいけませんが・・・)。
病院が遠くなっても、時間をかけて毎日かかさず母を見舞った父。

ぼやでひどい火傷をして、医師から見放されながらも、回復した父。
そして、杖をつき、脚を引きずりながら、入院中の母を見舞った父。

豪雨の日も、父はかっぱを着て母を見舞いに行った。
母のもとへ連れていけと私にせがみ、いつもの3倍ほどの時間をかけて、本当に死にそうになりながら病院にたどり着いた。

父は、母が亡くなる数時間前、それがわかったようで、最後のお別れをして、病院を出た。

亡くなった母を、涙を流しながら、静かに見つめていた父。
(母は、23年間の闘病生活を送りました)
お父さん、ほら、さわってあげな、と私が言うと、弱々しい手で、ふるえながら、母のほおをさわった父。

posted by baucafe at 11:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ◇徒然日記
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