定方晟 著 『空と無我 仏教の言語観』(講談社現代新書)を読了した。
「行くものは行かず」
これは、仏教哲学者ナーガールジュナの言葉である。
彼はこの言葉で、「行く」という日常の経験を否定したのではない。彼が否定したのは、言葉(概念)を実体視することである。
ナーガールジュナの言葉は、彼以前の仏教が、ものに実体性がないことをひとに理解させるのに用いてきた様々の言葉―空、縁起、中、無自性―のどれにもまして、そのことに成功したようにみえる。
また、彼の言語批判は、無我を悟るには「心」よりも「言葉」を探求するほうが効果的であることを教えてくれる。彼は、言葉を一種の虚無とみたが、そのことを説明するために彼が頼るのは、あくまでも言葉である。彼は、言葉で導けるところまで人を導く。そして、どの方角に真理があるかを指し示すのである。
本書の後半、唯識思想の誤謬や、空思想≠神秘思想について書かれた章が、なかなか刺激的であった。
2013年01月20日
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