本論文は、様々な実験を紹介しながら、動きと知覚の関連について検討している。
私たちは、対象を静止画像のように見ているのではない。対象の動きに意味を見出し、また自らも動きながら知覚している。静止していると意味を成さない対象が、動き始めるとすぐさま意味をもち始める。実験で、乳児に棒の中央を何かで隠して見せてやると、隠されていない両端がつながっているとは思わない。ところが、少しでもその棒を動かしてやると、それが一本の棒であることを知覚する。
生物と無生物の動きを見分ける実験も面白い。生物と無生物の動きだけを抽出(光点として)して被験者に見せ、それが生物の動き(蟻の動き)であるのか、あるいは無生物(枯葉の落下、ボールの投げ上げなど)なのかを判別させる実験であるが、これが確実に正しく知覚される。ところが、生物の動きのうち、身体自体の空間移動を残しておいて、身体の向きを変えるなどの小刻みな動きを取り去ってしまうと、それができなくなる。実は後者の動きは、生物に特徴的な、知覚と行動の両面における環境との絶えざる相互作用を表しているのである。
知覚に「重力」という環境を関わらせた、興味深い実験も紹介されている。光点を被験者の面前で左から右へと横へ移動させるときと、上から下へと縦(重力の方向)へ移動させるときの認識の違いを調べる実験なのであるが、横に移動させるとき、一定割合で減速させると、「何の力も働いていない、自然な動き」であると知覚し、加速させると、「対象自体の力が働いている」か「“見えない”外部の力が働いている」かのどちらかであると知覚する。それに対し、縦に移動させるときには、加速させるほうが「何の力も働いていない、自然な動き」に見え、一定割合で減速させるほうが、対象自身の力か外部の力が働いていると見える。つまり、被験者は純粋に対象の動きだけでなく、環境情報(この実験の場合には「重力」)を併せて知覚していることになる。
知覚とは、静止画像を網膜に写すようなものではない。私たちは、対象の動きから様々な意味を直接的に知覚しており、そうした知覚活動を通して、豊かな意味をもった世界に密接して生活している。本論文はそうしたことを伝えてくる。
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