2013年04月15日

岸見一郎著『困った時のアドラー心理学』より

まずこれは誰の課題なのかということを見極める必要があります。誰の課題かわからなくなってしまっていて、自分の課題ではないのに他の人の課題に土足で踏み込んだり、自分の課題を他の人に解決させようとして、対人関係を悪くしています。


自分がたとえ黙っていても他の人は自分が何を考え、感じているかわかってくれて当然と思う人がいます。そのような人は、他の人の考えをその人が黙っていてもわかるべきだと、思いやりや気配りが大切だというのですが、同じことを他の人にも要求するので話は面倒なことになります。


自分の信念に従って自由に生きているからこそ、自分のことを悪くいう人がいるのです。だから、自分のことを嫌う人がいるということは、自分が自由に生きているということの証であり、自由に生きているということの代償ですから、それくらいのことはしかたありません。


前の日にいやなことをいわれたかもしれないけど、でも、今日同じことを今目の前にいるこの人がいう、あるいは、するとは限らないわけです。そう思って、その人と初めて会う人のようにその日を始めるのです。


対人関係における信頼というのは、信じる根拠がある時にだけ信じるのとは違って、無条件で信じる、あるいは、信じる根拠がない時にこそ信じるということです。アドラー心理学では無条件に信じることを「信頼」といい、信じる根拠がある時にだけ信じるという意味の「信用」と区別しています。


他の人は自分とは違う考え方、感じ方をしていることがわかっている人とは対人関係上のトラブルは起こりませんが、自分が思い感じているのと同じように相手も必ず考え、感じているはずだと信じて疑わない人との関係はやっかいなものになります。


他の人の自分についての評価は、その人の考えにすぎないのであって、自分の価値そのものには何の関係もない…。「あなたはいやな人ね」といわれてうれしい人はいないでしょうが、そんなふうにいわれたことで自分がいやな人になるわけではありません。


ことさら優れていないといけないなどと思わずに、普通である勇気を持ってほしいのです。この勇気を持てない人は特別であろうとします。特別優れていなければならないと考えるか、特別に悪くならなければいけないと感じるかのどちらかです。


人はいわば真空の中で生きているのではなく、必ず対人関係の中で生きています。私たちの言動は他者の存在を前提とし、他者へ影響を与え、何らかの反応を他者から引き出します。
posted by baucafe at 01:03| Comment(0) | TrackBack(0) | ◇読書
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