2013年12月05日

理解はすべて誤解だ。

理解はすべて誤解だ。これは間違いない。
それを承知で理解するのなら、救いはあるかもしれない。

理解することで、自分と理解される対象との関係が断絶する。
「分かった」というが、それはその対象が自分の頭の中に収まったということだ。
このちっぽけな頭の中に、目の前の対象がどう収まるというのか?
それで自分には、もう目の前のものが見えなくなる。

理解を選んでしまうのは、「言い訳」と思えばよい。「一時しのぎ」と思えばよい。
そうしなければ、自分にはその対象を制御できないから。

理解を支えるのは恐怖心に違いない。
posted by baucafe at 01:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ◇徒然日記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/81939491
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック