【感覚に関して】
ボディワーカーは自分の感覚に溺れてはならない。常にクライアントの感覚に付き従おうとし、そのために感覚を用いる。(2013/11/25)
触察では、すでに感じているように感じ、感じている以上に感じようとしてはならない。・・・感じようとし、「内に向かう」のでは、目の前にある、触れることのできる対象から遠ざかるばかり。(2013/11/25)
ボディワーカーの感覚は「外向き」だ。常にクライアントに向いている。自分に「沈潜する」のが好きならば、ボディワーカー向きではない。(2013/11/25)
全ての感覚を求めようとする者は誰か?今ここにある感覚以外の感覚を求めようとする者は誰か?感覚できない領域があると嘆く者は誰か?その領域を「闇」と呼ぶ者は誰か?・・・果たして誰が感覚するのか?・・・その誰かこそが今ここに「闇」を呼び込むのではないのか?(2013/11/26)
【姿勢・動作分析に関して】
姿勢・動作分析は、特に対面で行われるのなら、被分析者の姿勢・動作に「痕跡」を残さざるを得ない。そうであるなら、それを最小限に抑えようとするのか、最大限に活かそうとするのか?(2013/11/28)
「痕跡」を残さざるを得ない。・・・視線が、言葉が届き、仕草が暗示する。・・・思考がイメージを呼び起こし、感情が筋肉を揺り動かす。(2013/11/28)
【ソマティスクに関して】
身体学習では、学習する内容がどこに落とし込まれなければならないかというと、からだ(soma)という無人称の〈場〉に、・・・だから(学習者が学習するにも関わらず)学習者がいない場所にである。(2013/12/16)
心理学では「心はどう機能するか?」とは問うが、「心とは何か?」とは滅多に問わない。・・・ソマティクスではそれなりに、「からだ soma」を探求する中で、後者のように問う必要が生じる。しかし、その問いは形而上学的なものにはならない。(2013/12/22)
ボディワーカーは、経験の「主観的でない」相に働きかけなければならない。・・・身体性、「社会」あるいは「自然」などを含めてよければ、「自己」は使い勝手のよい言葉になるのだけれど・・・。(2013/12/23、略)
ボディワークで対象とする「自己」を「からだ soma」とするのが今はよいのだと思う。・・・〈soma-〉が多くの異なった意味に用いられているにしても。(2013/12/23)
パフォーマンス指導では最終的にパフォーマーが身体を忘却(解放)できるように導かなければならない。〈私〉が身体運動に留意する必要がなく行動目標を追求することができるように。・・・ソマティスクの最終目標は〈私〉が関わる領域を最小限にすること。〈からだ soma〉が自ずから現れ出るように。(2013/12/29)
〈私〉は身体の追従者だ。これまでも、これからも。〈私〉が現れたのは身体の誕生より後のこと。かつて身体は〈自然〉と共にあった。そこから始まった。(2013/12/29)
2013年12月31日
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