〈ソマティクス〉(somatics)は「一人称の知覚で内側から捉えた身体としての〈からだ〉(soma)を探求する分野」と定義されている。
〈ソマティクス〉はこの定義から「一人称の科学」とされる。
ところが〈からだ〉には「一人称」では関われない(制御できない)領域が広くある。
ちなみに「一人称」とは「私」「僕」「俺」などのこと。
〈ソマティクス〉には「主体の科学」が適している。
ただしこの場合の「主体」は「主観」とは異なる(同じ subject の訳ではあるが)。
「主体」には「自ら(みずから)」と「自ずから(おのずから)」が含まれると私は考える。
もう少し言えば「自ら行う」と「自ずから起こる」が共存する。
〈ソマティクス〉を「一人称の科学」とすると「自ずから起こる」を欠くことになる。
ところが〈からだ〉の現象には「自ら行う」ことよりも「自ずから起こる」ことのほうがはるかに多い。
自転車に乗る際には「サイクリングをする」「買い物に出かける」とは考えても「ハンドルを握る」「サドルに腰をかける」「ペダルを踏む」とはいちいち考えない。
後者については通常は〈からだ〉が担当する。
ただし自転車に乗ること自体を習う段階では「自ら行う」(「私」が行う)範囲が広いであろう。
そして「私」すなわち「一人称」なしには習得できない。
ボディワークの実践者として私は〈ソマティクス〉を「現象研究」だけのものではなく「技法」として捉えたい。
「技法」であるためには「一人称」が欠かせないのは言うまでもない。
私は以下のように考える。
「主体の科学」である〈ソマティクス〉あるいは「技法」としての〈ソマティクス〉は「一人称/自ら行う」から「無人称/自ずから起こる」へのプロセスを制御することである。
2014年02月09日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/86886883
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック
http://blog.sakura.ne.jp/tb/86886883
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック