2015年05月09日

膜の連続性/変化は容易に、あからさまに起こる

オープンパス9期生(第9期オープンパス認定ファシャワーカー養成トレーニングに参加中)の方が、習得したばかりの浅筋膜操作を早くも実践してくださったそうで、そのことに関わって、その方からご質問をいただきました。
浅筋膜操作を実施したところ、その直後から自分の身体に(クライアントの身体にではなく)痛みや違和感が出てしまったということでした。


浅筋膜は身体の浅層にあって、全身を包み込んでいますが、面白いことに顔、両手掌、両足底の5箇所で欠けています。
手や足では、それが見た目にも分かります。
手部を縦にして観察すると、手掌側と手背側を分ける線を発見すると思います。
じつは、その線から手掌側には浅筋膜がありません。

bau手.jpg

手背側と手掌側を、反対の手指で触察してみてください。
前者は皮膚が滑走するのに対して、後者の皮膚は動きません。
浅筋膜がある部分とない部分とでは、皮膚の働きが違います。

浅筋膜がない5箇所は、対象に密着する働きがあるのに対して、浅筋膜のある部分には、外からの、および内からの刺激を逸らしたり交わしたりする働きがあります。

  関連記事:触れる、触れられる

ファシャワーカーがクライアントの身体に触れるとき、手(浅筋膜のない手掌)の働きを十分に活かすことができれば、それは触れた部位に密着し、相手の身体と一体化します。
そうなれば、浅筋膜(外的および内的刺激によって絶えず多方向へ滑走しています)を通して、自分の身体に多くの情報が流れ込んできます。

情報は常に受け手を変化させる力を持っています。
手を通して相手の身体から流れ込むのは、情報という名の力であり、それは変化を招きながら、全身を走り抜けます。
しかし、受け手の身体に緊張があると、流れ込んだ力は、どこかで滞ってしまいます。
流れずに滞った力は、その滞った部位に居座り、すぐさま働き始めます。
そうなれば、その部位に不具合が起こるのも時間の問題です。
9期生の方に起こったのは、こうしたことかもしれません。


オープンパス認定パルペーション・トレーニングでは、初回時に「関節感覚」の講義&演習を行います。

  関連記事:触察「関節感覚」

関節感覚を働かせ、全身で触察するというのがオープンパス方式ですが、この方式でファシャワークを実施するならば、全身が緊張することなく、施術による力の流れを滞らせずにすみます。
流れが滞らなければ、施術者は自分の身体に心地よい変化を感じるでしょうし、身体にとっては良い刺激になります。


以前、ロルファーであるジム・アッシャーからクレニオセイクラル・セラピーを教わったときのことを書きました。

  関連記事:タッチによって変化が起こる/個を超えた膜連続体

今では同じことを、膜連続体を介することで難なくできますが、ただし、ジム・アッシャーがどのようにそれを行ったのかは分かりません。

膜は個を超えて連続することが可能です。
例えば、AさんとBさんに手を繋いでもらった上で、Aさんの足首に施術することで、Bさんの頸部の可動域を広げることができます。

私は頻繁にではないのですが、セッションで次のようなことを行ったりします。
クライアントさんと握手をし、握手をした自分の腕をファシャワークすることで、クライアントさんの反対の腕がよく上がるようになったり、前屈がより深くできるようになったりというようなことを。
膜を介せば、変化は容易に、あからさまに起こるのです。
それを知っていただきたくて、そんな余興を行います。

2015年03月06日

「流動」の考察/疼痛解消テクニックの進化のために(2)

私たちは、疼痛解消テクニック(関連記事:   )が「進化」の過程にあると確信しています。

2月14日のブログ記事に、「流動」について書きました。
「流動」とは、疼痛解消テクニックを用いて、組織が変化を起こすときに感じられる微細動の1つです。

私は以下のように書きました。
「施術の影響で、その動きはやがて収束(この言葉がぴったりくる)し、規則的に流れるような動きに取って代わられる。というか、それまで弱化していて、感じ取れなかった流れは、不意に目立つようになる。その規則的な動きは、動脈の流れと分かる」

また、こうも書いています。
「水量は少なくないのに、複雑すぎて水の行き渡らない水路とでも言おうか、それは分散し、勢いが殺がれ、滞っている」


このところ、血管に関わる書籍、論文を読み漁っていました。
そして、血管が周囲の組織の影響で、増殖する(網の目のように増殖するそうです)ということを知りました。
例えば、癌が発症したとか、炎症が起こったとかで、増殖するのだそうです。
勉強不足で、私はこのことを知りませんでした。
増殖して新たに出来た血管には、神経線維も伴っているそうです。


私が感じていた「流動」は、もしかすると、このことに関わりがあるのでしょうか?

例えば、以下のように考えられないでしょうか?
「増殖した血管に流れ込んだ血液が、元からある血管に(疼痛解消テクニックの効果で、筋収縮による圧迫が除かれて)戻るのを感じていた」


ちなみに、癌の周囲に増殖した血管を遮断すると、普通の細胞よりも多くの栄養を必要とする癌は、一時的に増殖することが出来なくなるそうです。

2015年02月14日

「流動」の考察/疼痛解消テクニックの進化のために

身体のどこに触れても、皮下に、流れるような動き(注1)を感じ取ることができるが、圧痛部位に感じる動きはかなり不規則なもので、私たちの知るどの動き(注2)にも当てはまらないように思える。
施術の影響で、その動きはやがて収束(この言葉がぴったりくる)し、規則的に流れるような動きに取って代わられる。
というか、それまで弱化していて、感じ取れなかった流れが、不意に目立つようになる。
その規則的な動きは、動脈の流れと分かる。
それは一時的に(疼痛が解消される際に)、強く脈打つこともある。

流動.jpg

(注1)流動。疼痛解消テクニックを用いる際に、感じられる特徴的な微細動の1つ。他に牽引膨隆がある。
(注2)動脈、静脈、リンパなど。

取って代わった動きが動脈の流れであるなら、最初の不規則な動きの正体は何だろうか。
水量は少なくないのに、複雑すぎて水の行き渡らない水路とでも言おうか、それは分散し、勢いが殺がれ、滞っている(「滞っている」と言っても、浮腫とは違う)。

触察だけでは、分からないこともある(分からなくても、施術を行うのに不便はないが)。
しかし、この複雑な水路が、疼痛の1要因であることは間違いないと思う。
だから、この水路が消えた(不規則な動きが収束した)瞬間に、問題部位から手指を離す(そしてその瞬間に、疼痛は解消される)。

この水路が何であるかを突き止めることで、私たちの疼痛テクニックは再び進化するのだと思っている。

参考ブログ記事(疼痛について、疼痛解消テクニックについて/インテグレーティブワーカー養成トレーニング):   

2015年02月05日

cureとcare

痛みにどう向き合うかに関して、以前からよく耳にするのが、cureではなくcareを目指そう、という考え方だ。
これはもちろん、急性痛ではなく慢性痛に対してだろう。(注1)
また、医療に関わって言われることが多いようだ。

(注1)ボディワーカーは急性痛を扱わないし、慢性痛にしても医療検査(病院受診)の後でなければ扱わない。

痛みを敵視し、解消することばかりに意識を向けていると、痛みのために何もできない状態になってしまう。(注2)
だから、痛みがあっても活動できるような状態を目指そう。
そういう考えのもとに言われているようだ。

(注2)医療では、患者が医療者に依存するなどして、自分の痛みに関して任せきりになり、結果、そういうことが起こりやすいのかもしれない。


もともと、痛みは患部を襲うだけではない。
人間の全体に襲いかかって、幾つもの領域(末梢器官から脳神経系、精神の奥底まで)を占領し、根を張って、「インフラ整備」までやってのける。

そうであればもともと、cureの中にはcareが含まれていなければならない。
患部にある症状は、「痛み構造」の一角にすぎず、全体に対しては、小手先の技(手技)など通用しないのだから。


ただし、cureではなくcareを目指そうという言葉が、力不足(cureの技術がないこと)の言い訳(隠れ蓑)にならないように(自らの力不足を誤魔化してはならない!)。
cureがそのままcareであること(逆もまた真なり)、それがボディワークの技術だと、ボディワーカーは思い出さなければならない。

2015年02月04日

単関節筋と多関節筋に関する考察

この1週間に3度、単関節筋と多関節筋に関するご質問をいただいた。
流行っているとか?(大腰筋、腹横筋、後脛骨筋などが、同業者の間で流行ったことはあったが・・・)
どこかの雑誌が特集でも組んだとか?


単関節筋と多関節筋は、神経回路が別個なのか?
そうではない。
1つの動作が為されるとき、同じ回路の中で、これらは協働するのだ。

これらの筋が協働できるように、つまりコーディネーション(co-ordination)を作り出すために働きかける、というのが、ボディワーカーの仕事(の1つ)なのか?
しかし、「作り出す」とは、おかしな言い草だ。
元来、協働するように出来ているはずなので、それを阻むものを取り除けばよい。


単関節筋は1つの関節を越えればよいので、深部を走行する。
多関節筋は複数の関節を越えなければならないので、浅部を走行する。

単関節筋は安定筋(あるいは、抗重力筋)の、多関節筋は動作筋の役割を担う。
単関節筋は赤筋/遅筋タイプで、多関節筋は白筋/速筋タイプだ。

赤筋/遅筋はニューロンサイズが小さく、神経衝撃に対する反応域値が低い(神経伝達が白筋/速筋よりも速い)。
白筋/速筋はニューロンサイズが大きく、神経衝撃に対する反応域値が高い(神経伝達が赤筋/遅筋よりも遅い)。

したがって、単関節筋(安定筋/抗重力筋、赤筋/遅筋)が先に働き、多関節筋(動作筋、白筋/速筋)がそれに続く。
問題がなければ、そのように協働する(これらの筋の働きに時間差があるのは、回路が別個だからではない、ということ)。


系統発生的に、単関節筋と多関節筋のどちらが先に現れたのか?
発生学を学ばなければ、本当のところは分からないが・・・
私たちはナメクジウオからヒトまでの進化の過程で、重力とどのような関係を持ってきたのか、と考えてみる。

魚が陸に上がったとき、あるいはワニのような腹這いの時代から、身体を持ち上げて四足になったとき、私たちはそれまでよりも、重力に抗して関節を固めなければならなかったのではないか?
四足から二足に直立したときには、どうか?

答えは、明らかではないか、と思うのだが・・・

2015年01月25日

エア・パルペーション再び

エア・パルペーションのことは、以前にも書いた。(
先日、パルペーション・トレーニングの際には、受講生の皆さんに行っていただいた。


「目でさわる、手で見る」

エア・パルペーションを繰り返し行うと、このことが比喩ではなくなる。

すなわち、「目でさわるように見る、手で見るようにさわる」というのではなく、実際に「目でさわる、手で見る」ことが可能になる。

例えば、何か(解剖学的部位だけでなく、何でもよい)を見ると、その何かをさわったり押したりする感じがある。
また、何かをさわると、目をつぶっていても、その何かが見えるし、それを押すと、その何かの中身、圧力が届くあたりまでが、ありありと浮かぶ(どこに「浮かぶ」のかを言うのは難しいが、「目に浮かぶ」のでないことは確かで、やはり「手に浮かぶ」という感じだろうか・・・)。

ボディワーク・セッションでは、見ただけで故障部位、疼痛のある部位などがわかるし、さわる前に圧痛点のある場所、その硬さなどが正確にわかる(デモンストレーションなどでよく行うのだが、アナリシスなしに圧痛点を示すと、驚かれる。示すだけでなく押圧すると、飛び上がる!)。

なぜ、そんなことができるようになるのか?
記憶として蓄積した視覚情報と触運動覚(その他、聴覚、味覚、嗅覚)情報が、エア・パルペーション(注)を繰り返すことによって、互いに結びつくためではないかと思っている。

(注)参加イメージ(⇔観察イメージ)を使って、実際に身体を動かしながら、イメージした対象を触覚化すること。
(例1)歩きながら道路に、あるいは電車に乗りながら線路にさわる。
(例2)オフィスにいて、最寄りの駅まで手を伸ばし、売店のジュースを飲む。
(例3)目の前にいないAさんの大腰筋を触察する。

とにかく、エア・パルペーションを気が遠くなるほど繰り返した。
ただし、成果が出るのに1ヶ月も要しないので、受講生に皆さんはぜひトライしてください。

2015年01月19日

セッションが合氣道のようだ

先日、合氣道師範であるTさんから、私のセッションが合氣道のようだと言われた。
Tさんはオープンパス・メソッド(R)・ボディワーカーでもあり、2ヶ月に1度くらい、メンテナンスのために私のところへ通ってくださる。
基本的な技、進め方はあるけれど、相手に合わせて自在に対応するところが、合氣道的だとおっしゃってくださった。
それで、私のテクニックの多くが、合氣道をヒントに作られたことをお伝えした。
疼痛解消テクニックを作った際などには、合氣道の達人と言われる方々の動画を繰り返し観たものだ。

Tさんは、オープンパス・メソッド(R)・トレーニー時代から、ボディワーカーとして抜群の腕前を持っていらした。
オープンパス認定トレーニングでは、外部からクライアント・モデルを招いてクリニカル・セッション(全4セッション)を行うのだが、Tさんの施術を受けられた全員の方々が満点をつけられた(細かい項目があるのだが、それらすべてに対して)。
そんなことは初めてだった(Tさんは第4期トレーニングに参加。それまでなかった)し、それ以降も1度もない。

先日、Tさんとお話ししながら、Tさんにとっては行うことの全てが合氣道であり、ボディワークもその例外ではないのだ、と思い至った。
私はそれ以来、再び合氣道の動画を観るようになった。

2014年12月07日

ボディワーク徒然15/最近のツイートより

変化などそう簡単には起こらないと思っているかぎりは滅多に起こらないだけでなく起こったとしても気づくことができない。…本当を言うと変化はたえまなく起こっている。
(2014/11/13)


「ソマティクス」について認識論的に説明するか存在論的に説明するかで大きな違いがある。認識論的に説明するなら「主−客」を持ち出さないわけにはいかない。…私としては「知ること」ではなく「在ること」をと言いたい。
(2014/11/13)


独り在ること
自らを慰める道具として他者を用いることを止めるために
他者と共に在ることが神の賜であるように
(2014/11/14)


ボディワークの実践においてこれまで技術的に困難であった数々のことがそうではなくなった。技術の進歩はボディワークの定義を変えることになるのかもしれない。
(2014/11/14)


斎藤施術.jpg


個人的な見解であるがこれまでのボディワークは未完成であったし今後も同様に未完成であり続けるであろうがそうでなくてはならない。
(2014/11/14)


すべてのものをその技術で操作できると思っているのか?…技術を信じすぎないように。その技術で操作できない(あなたはそのことを否定すると思うが)すべてのものがあなたの視界(「あなたの世界」と言ってもよい)から失われてしまわないように。
(2014/11/16)


感じないことを感じようとしないで
感じることだけを感じるように
感じないからといって感じようとして
感じたことは感じたことでない
(2014/11/17)


クライアントの知覚体験に辛抱強く付き合うことは大事な仕事である。しかし自分の行う個々の触察には多くの時間を要さない。…感覚(≠知覚)は素早いほど正確である。
(2014/11/18、改)


個々の技術の間に整合性がないのは
背景となる技術論が曖昧だからだ

コーンポタージュに
大根の味噌汁を混ぜないでほしい

技術の用い方を誤るのは
支えとなる思想が定かでないからだ

前菜の前に肉料理とは…
(2014/12/4)


骨、腱、筋肉、筋膜…
感覚が高まると
それまで出会わなかった諸々の対象物に出会うように
動脈、靭帯、支帯…
進入路が混み合う
また混み合う

出会いが重なれば
やがて知ることに
神経、静脈、間質液…
それらとどう向き合うか
どう関わればよいか…
(2014/12/4、改)


触察.jpg

2014年11月19日

エアパルペーションのこと

触察して「拘縮(注)がある」とわかるためには、それ以前に、拘縮をそれと知って触れた記憶がなければならない。
その記憶との照合によって、はじめてそのようにわかるのだ。

拘縮を触察した際に記憶されるのは、その手ざわりだけではないはずだ。
たとえば目で見た情報も得ているだろう。
触れてみて拘縮のある部位の周囲に、見た目にどういう歪みがあったかなどが記憶されているはずだ。

施術の経験を積み重ね、そのような多くの記憶が蓄積されたなら、じつは誰でも見ただけで(手で触れなくても)拘縮がどこにあるかくらいは、けっこう簡単にわかるのだ。

私がパルペーション・トレーニングの中で「エアパルペーション」という方法を紹介してきたのは、それが視覚(化)と触運動覚をリンクさせる方法で、見ただけで拘縮のある部位(もちろん拘縮だけでなく、さまざまな触覚情報)がわかる能力を、通常よりかなり早く(数年→数か月、あるいは数週間)、しかも正確な形で習得させてくれるからだ。

(注)本記事では以下の意味:持続的に筋肉が収縮しており圧痛がある。痙縮。

2014年11月13日

ボディワーク徒然14/最近のツイートより

解剖学の本読んで勉強するより、エアパルペーションやりましょ。何度も言ってるけど、触察って、知識っていうより技能だから、アタマじゃなくてカラダに記憶させなきゃね(意味記憶じゃなくて手続き記憶ってこと)。
(2014/10/16)


空間について考える(運動学習のために)。…知覚主体に対しては知覚対象を中心とする空間が立ち上がる。身体運動主体に対しては身体運動の起点を、つまり身体運動主体を中心とする空間が立ち上がる。(他者中心的空間/自己中心的空間)
(2014/10/19)


1つの身体運動に対して、少なくとも2つの主体(知覚主体、身体運動主体)、2つの空間(他者中心的空間、自己中心的空間)が立ち上がる。…2つの主体、2つの空間を結合するために注意の様態を制御する。(→受動的注意集中)
(2014/10/19)


理想を体現する者をどこまでも追ってはならない。理想を掲げる者などなおさらだ。理想から引き算する人生をいつまでも歩んではならない。…最後には全ての理想像を駆逐しなければならない。
(2014/10/21)


内臓諸器官の非対称性が筋骨格系の活動に何の影響も及ぼさないというのは考えにくいことだ。
(2014/10/22)


死ぬの反対は生きるではなく生まれる
死ぬと生まれるは生きるに含まれる

日々死に日々生まれる
それが生きる
(2014/10/22)


生きた身体は変化を止めない。生きた身体に対して「これが完成だ」とは言えない。生きた身体は常に「過程」として在るしかない。
(2014/10/24)


身体の不調を「トラウマのせいじゃないか」と疑っていたが、セラピストの話を聞いて「そうに違いない」と確信したクライアントさん。それ以来、「トラウマに囚われる日々」(クライアントさんの言葉)。3回のボディワーク・セッションで身体の不調、「トラウマ」ともに解消。「トラウマ」は扱わず。
(2014/10/24)


意味のあるものを見たいと思うと、意味のないものは見えなくなる。
(2014/11/1)


感覚神経の一部が情動中枢(大脳辺縁系、視床下部)に達する。感覚は情動の反映を受け(快・不快を伴い)、それと関わる記憶と照合される(感覚が知覚となる)。…照合された記憶は更新される。
(2014/11/1)


個人講座にて。講義:手技を用いる際に身体運動を指示する理由と、ある場合に指示しない理由。…体性感覚の感覚受容器について(外部刺激に反応するものを表在性受容器、自己運動刺激に反応するものを深部受容器)。自律神経反射に関わる受容器について(筋紡錘とゴルジ腱器官は関わらない)。
(2014/11/1)


他人の痛みを感じるのは難しい、というか本当は無理な話だ。痛みの感覚や不快感は、個人の脳で構成されるものなので、個人差が大きいし、同じ個人でも置かれた状況によって違ってしまう。
(2014/11/1)


技術が成立するのは、世界に秩序があり、物事に因果があると見なすことによって。
世界をどう捉えるのか?それによって技術は異なるのだろう(技術は使い手その人を表すということ)。
(2014/11/6、改)


ハンズオンで(身体上で)エントリーポイント操作中にお喋りされると困ってしまう。…お喋りの内容に関わって感情が動くのだと思う。横隔膜が不規則に活動したり、顎やこめかみが緊張したり。膜連続体に働く張力関係を探るのが困難に。
ところで、明るい話題で息を殺したり、称賛しながら顎を噛みしめたりって、お喋りの内容と感情とが不一致?
(2014/11/7)


前職と現職の間に、食えなくてアルバイトでガラス拭きをしていた。高所&乗り出しで。…あるとき、急に乗り出せなくなった。平衡感覚が衰えたという自覚で、ガックリ来た。筋力はかなりの歳まで鍛えられるようだけど、平衡感覚は難しい。
(2014/11/7)