2015年08月26日

支持手を最後まで学べない者もいるだろうか?

ボディワーカーの施術手を見れば、その技術がわかる。支持手を見れば、態度がわかる。後者(支持手)があっての前者(施術手)だろうが、往々にして前者が先に、後者が後から身につくものだ。(注)

(注)外観的には、施術手と支持手とを厳密に見分けることはできないが。

ボディワーク・セッションを行う上で(つまり実践で)大切なものを挙げるように言われたら、次の3つを挙げるだろう。大事なほうから、態度、技術、知識の3つだ。

駆け出しの頃は、技術が気になる。先達の技術を見て、驚かされる。セッションがどう運ばれているかなどに気持ちは向かない。

セッション運びは、クライアントとボディワーカーとの関係性によるところが大きい。ボディワーカーがどういう態度でクライアントと接し、向き合うか。それが鍵となる。セッション運びが上手くいかなければ、どんな技術も無駄になるかもしれない。

態度、技術、知識。知識は本からでも学べる。技術もある程度は他人(師や先達、あるいはセミナー講師?)から学べる。態度は生き方に関わる。どう学ぶのか? 支持手を最後まで学べない者もいるだろうか?

2015年08月09日

イーズポイントのネットワークは、トリガーポイントの基盤?

イーズポイントのネットワークは、あたかも星座のようです。
イーズポイントは互いに影響し合いながら、共に動きます。
膜連続体の張力が変化すると、それに応じて全ポイントが位置を変えます。

イーズポイントは、疼痛解消テクニックではエントリーポイント(システムに進入するための「入口」)に用いられます。
イーズポイントのネットワークが、疼痛解消テクニックを適用する際の基盤(マトリックス)となります。
オープンパス・メソッド(R)を習得した者が、痛みを引き起こす部位を、あるいは歪み構造の中心を間違いなく指し示すことができるのは、この基盤を利用しているからです。

先日、疼痛を訴える方とセッションを行いました。
その方には、大腿部外側から下腿にかけて強い痛みがありました。
しかし、痛みのある部位に明確な圧痛点はなく、そこから膜連続体(イーズポイントのネットワーク)に働く張力をたどると、小殿筋に行き着きました。
小殿筋上部で、反転したイーズポイントを正常化すると、大腿部外側から下腿にかけての痛みは消えました。
また、明らかに姿勢が変化し、歩行は見違えました。
その方が仰った「視界が3Dになった」という言葉が、大変に印象的でした。

この反転したイーズポイントは、索状に硬結した組織内にありましたが、「トリガーポイント」と言われるものと同じではないでしょうか。

もしかすると、イーズポイントのネットワークは、トリガーポイントの基盤でもあるかもしれません。



【お知らせ】

オープンパス認定パルペーション(触察)・トレーニング体験受講者を募集いたします。
日時: 8月16日(日)10:00〜17:00(昼休憩1時間)(第10期、第3回)
講師: 小川隆之、斎藤瑞穂
参加費: 10000円/6時間(特別価格)
* 体験受講は2回まで可能です。

ご参加ご希望の方は、お手数ですが、
(1)お名前
(2)当日の連絡先(携帯番号または携帯メールアドレス)
(3)ご職業
(4)ご住所(参加票を送らせていただきます)
(5)ご質問、コメントなど(もしあれば)
上記をご記入の上で、openpath@hotmail.com にお申し込みください。
皆様のご参加をお待ちしております。

2015年07月01日

ボディワーカーとしての「熟練」

ボディワークが対象とするのは「人間」です。
人間は機械ではないので、どこかにボタンやスイッチがあって、それらを押せば特定の反応や変化が起こるというようには、もちろんできていません。
「人間」を「身体」と置き換えても同じことです。

* 以下は、クライアントではなく、ボディワーカーの立場から記述しています。

ボディワークが「技術」であるかぎり、それを用いたときに、反応や変化の方向を制御できることが期待されます。
人間を対象とするために、想定外の出来事が起こることも少なくありませんが、技術であるかぎり、それに対処する用意がなければなりません。
オープンパスでは、こうした「想定外」を少なくするための研究を続けてきました。
鍵となるのは「意識」の用い方だというのが、私たちの見解です。
意識を用いるというのは、何らかの対象に意識を差し向けることで、言い換えれば「注意を向ける」ということです。

私たちが何かを学び始めるとき、注意の大半は学びの対象(内容)に向けられます。
認知科学では、注意を「心的資源」と捉えますが、それにはかぎりがあって(脳の学習・記憶システムには限界があって、一時に注意を向けることのできる対象の数がかぎられています)、何かを懸命に学ぶときには、学びの対象以外に向けることは難しくなります。
自転車に乗るのを習い始めたときのことを覚えているでしょうか。
私たちの注意は、ハンドルを握ること、サドルに腰をかけること、ペダルを踏むことなどに向けられて、「どこの行きたいか」に向けられることなどなかったでしょう。
やがて学びが進むと、自転車を操縦することに注意を向ける必要はなくなります。
意識の用いられ方が変わったのです。
「心的資源」は操縦以外のことに差し向けられることになり、私たちは行き先のことを想像したり、景色を楽しんだりするでしょう。
ボディワーク・セッションでも同様のことが起こります。
オープンパスでは、「熟練」という言葉を用いて、上記のようなプロセスを説明してきました。
ボディワーカーが新たな技術を学ぶとき、その技術の手順や適用のタイミング、手技の展開などに、大半の注意が向いています。
この段階で、クライアントと向き合うことになってしまったら、クライアントに十分な注意を向けること、意識を用いることは不可能でしょうし、想定外の出来事に対処することなど無理な話でしょう。

少しずつでも「心的資源」を残して(保って)おくことが可能になれば(つまり、クライアントのために意識を用いることが可能になれば)、「熟練」へのプロセスへ入ることができます。
このプロセスの中で、どう習練するのかは、個々のボディワーカーに任されますが、オープンパスは、熟練のための具体的な方法を提示しています。
「実践経験を重ねること」はもちろんですが、それ以上に有効な方法として、膜連続体の張力や動き(滑走、収縮など)を感覚する練習法、人物画を見るような観察法(以上2法によって、わずかな変化を追えるようになるので、「想定外」となるはずの出来事を「想定内」に収めることができます)、エア・パルペーション(想像力を駆使して行うことが役に立ちます)などをお伝えし、いくつかはトレーニングの中でも実習しました。


〈インテグレーティブワーカー養成トレーニング 授業風景〉










私たちが新たな技術を学び始めるとき、その技術における個々の手続き、手順などを追うことに意識が用いられます。
熟練すると、身体がそれらを実行する(追うのではなく)ようになり、技術の大半は非意識的に(オートパイロットで)行われます。
身体の反応は、速さと正確さの点で意識に勝っています(これが、熟練において目立つ外観的な要素です)。
そして意識の役割は、想定外の出来事に備えるために見張る(俯瞰する)こと(もちろん、身体はそれにも速やかに対応しますが)、セッションの進行を、セッション目標の達成、主訴の解決に向けるように調整することなどにしぼられます。

2015年06月24日

疼痛解消テクニックとカウンセリング/受講生に答えて

オープンパス・メソッド(R)では、ボディワーク・セッションを進める上でカウンセリングを非常に大切にします。
カウンセリングをどのように行うかで、セッションの結果が大きく違ってきます。
特に疼痛解消テクニックを用いる際には、カウンセリングが上手くいかなければ良い結果を得られません。(注)
カウンセリングが上手くいかなければ、その後のどのような働きかけも「疼痛の心理面」に届かずに終わってしまいます。
それでも手技力があればその場で疼痛は消えるでしょうが、症状が戻ってくる可能性は高いでしょう。

(注)オープンパス・メソッド(R)では、疼痛に対して筋生理、体液、心理(認知)の3項から働きかけます。
カウンセリングが関わるのは、主に最後の項です。

また、セッション終了後のことも考えなければなりません。
セッションで起こった変化を日常に繋げるためには準備が必要で、その準備をカウンセリングで行わなければなりません。
単に疼痛がどの部位にあるとか、股関節の伸展可動域が狭い、回旋ができないというだけでなく、クライアントの訴える問題が起こる日常場面(できれば複数)を丁寧に聞き取る必要があります。

2015年06月16日

分析のこと、直感のこと/ボディワーク・セッションにおいて

姿勢分析、動作分析に「絶対」はありません。
姿勢や動作に見られる特徴は、様々な(注1)要因と条件によって起こったことであり、かつ起こり続けています(注2)
そして、それら全てを見出すことはできないし、誰もが同じものを見るとはかぎりません。
また、見る者がセッション進行をどう考えるかによって異なるし、見方(注3)によって異なった表現となります。

(注1)「単独の」ではなく。
(注2)ボディワーカーを前にしながらも起こり続けています。
ボディワーカーは、単に分析者ではあり得ず、被分析者の姿勢や動作の中に自らの影響を少なからず見ることになります。
(注3)例えば、技法体系ごとの見方。

もっと言うと、分析の類は対象を切り刻む行為であり(注4)、切り刻み方によって全く異なる「切れ端」が見出されます。
ですから、分析は便宜上のものであると認識している必要があります。

(注4)分析を否定しているわけではありません。

ところで、疼痛解消テクニック(注5)では、分析の前に働く「直感」を利用します。
また、セッション中に働く同様の「直感」が、個々の手技と一体化しています。
ですから、このテクニックに熟達したときには(注6)、分析は分析としての機能を失い、クライアントとのコミュニケーションやラポールを取ることに用いられます。

(注5)オープンパス・メソッド(R)の1テクニック。
オープンパス認定インテグレーティブワーカー養成トレーニングでお伝えしています。
(注6)熟達しても姿勢分析、動作分析は、簡単にではありますが、行います。

「直感」と言うと、捉えにくいものと思われるでしょうが、例えば私たちが日常、何かを選ぶとき、常に理詰めで考えて選ぶわけではありません。
あるいは、自動車を運転していて、歩行者が飛び出したとき、どちらにハンドルを切ってよいのかと考えてからハンドルを切るのではありません。
こうしたとき、「直感」(注7)が用いられています。

(注7)後の例は、「反射」と言ってもよいかと思いますが、そうした身体主導の動きも「直感」と捉えたいと思います。

オープンパス・メソッド(R)では、「直感」を熟練の結果として捉えています。
オープンパス認定トレーニングの中では、「直感」について、ワーキングメモリ(注8)と関連付けるなどして、認知科学的に説明しています。
また、身体に対する際の「直感」を速やかに養う方法として、オープンパスでは、最初のトレーニング(注9)の中で、「エア・パルペーション」という方法をお伝えしています。

(注8)情報の短期的な保持&処理を行う脳機能のことで、学習や思考のための重要な認知的な基盤です。
(注9)オープンパス認定パルペーション・トレーニング。

2015年05月29日

エンドフィールについて(2)

先日、インテグレーティブワーカー養成トレーニングの補講を行い、その際、エンドフィール(注1)の実習に多くの時間をかけました。
本日また、エンドフィールをテーマに個人講座を行うことになりました(別の方に対して)。

(注1)膜組織を押圧したときの制限感覚、手技に対して反発する感覚のこと。

エンドフィールというのは、絶対的なもの(注2)ではありません。(注3)
それは常に、自分が行うワークに見合ったものです。
セッションで何を目標とするかによって、膜組織の捉え方も、ワークの起点となるエンドフィールも違ってきます。
セッションの目標は、常に同じではないでしょうから、セッションごとにエンドフィールが違う可能性もあるわけです。

(注2)「これが唯一のエンドフィールだ」と言うことはできません。

(注3)先日の記事では、エンドフィールを得る上での注意点などについて書きましたが、今回の内容は、エンドフィールを得られた上での話です。

自分が行おうとしているワークに見合ったエンドフィールから始めなければ、たとえ結果は出せたとしても(注4)、望み通りとはいかないでしょう。
例えば、浅筋膜をリリースしたいときに、深部筋膜の制限で待っていては、思い通りの結果を期待できません。

(注4)エンドフィールを得て(制限のある地点で)待つだけでも、身体構造が変化することをお伝えしました。


制限のある地点で待っていると、多くの情報を得られます。
特に関節感覚を働かせながら待っていると、全身に情報が流れ込みます。
その際、自分の得たエンドフィールが適切でないと、過度のノイズが入ってきます(注5)
そういう意味でも、「見合ったエンドフィール」が必要なのです。

(注5)しかし、適度のノイズは必要です。
特に、ワークの方向性を変える必要が生じたときには、ノイズを利用します。


本日は、以上のような内容をお伝えしながらの実習となりました。
エンドフィールを得るだけでなく、制限で待ち、傾聴し、膜連続体を通して疼痛の起点を見つけ出し、疼痛解消を行いました。
私がクライアントモデルになったのですが、左下腿と左足底にあった疼痛が解消し、身体バランスが大きく変わりました。


ところで、先日の記事の(注)で、私は以下のように書きました。
「『考えるな、感じろ』という言葉が、ボディワーカーの標語のようになっていますが、これは対・初心者用の言葉であって、習熟の過程にある者に対しては、『感じるのはおまえじゃない』と付言しなければなりません」

「感じるのはおまえじゃない」とありますが、私たちは習熟の過程で、この「おまえじゃない」現象を体験するようになります。
すなわち、「私」が感じなくても、身体(手)が感じ、「私」に行為させるようになっていきます。

習熟が進むにつれて、しだいに身体(手)が全てを行うようになります。
施術に関わる情報の多くが「私」(意識)を素通りするようになるのです(注6)
「私」(意識)は個々の技術にではなく、セッションという「場」の管理や、目標への牽引、目標の再設定などのためにだけ働くようになっていきます。

(注6)自転車に乗れるようになる過程を思い浮かべてみてください。

2015年05月19日

エンドフィールについて

先日、オープンパス認定インテグレーティブワーカー養成トレーニングの補講を行いました。
エンドフィールの実習に多くの時間をかけました。
その際、エンドフィールについて、少し何か書きたいと思いました。

エンドフィールというのは、膜組織を押圧したときの制限感覚、手技に対して反発する感覚のことです。
この感覚が分かるからといって、必ず効果的な施術ができるわけではないのですが、分からなければ、膜を操作する施術を行うのは難しいでしょう。

エンドフィールが得られる前に、制限の手前で手技を止めてしまえば、膜を効果的に伸長することはできません。
それでは、単に「さわっているだけ」のことに過ぎません(それだけでも組織は弛むので、多少の変化は起こりますが、「明白な結果」(注1)には至らないでしょう)。

(注1)オープンパス・メソッド(R)のデモンストレーションをご覧になられた方には、「明白な結果」の意味が分かるでしょう。

それでは、制限を無視して進んでしまった場合には、何が起こるでしょう。
組織を傷つける可能性があり、組織は施術前よりも悪い状態になるかもしれません(ひどいことにならないのは、組織の柔軟性、回復力に助けられているからでしょう)。

10数年前、ボディワーク業界で、強圧で施術を行う者たちを否定し、排斥しようという声が上がりました。
今から振り返ると、「強圧がよくない、弱圧がよい」というのは的外れな意見、考え方であり、圧など強かろうが弱かろうが、エンドフィールを得られなければ、何の意味もありません(働きかけに見合った効果を導き出せません)。


エンドフィールを得る方法を生徒に伝えようとするとき、私たちは組織の制限を「探す」ように言います。
自分のセッションでは、組織の制限を「探す」ことなど皆無だというのに、そうするように言うしかありません。
そして、そう言うと、多くの方は感じようと懸命になります(注2)
感じようとして、考え、想像し、それがときには妄想にまで発展します(笑)。
本当は、感じることだけを感じ、感じないことを感じようとしてはなりません。

(注2)「考えるな、感じろ」という言葉が、ボディワーカーの標語のようになっていますが、これは対・初心者用の言葉であって、習熟の過程にある者に対しては、「感じるのはおまえじゃない」と付言しなければなりません。

私たちは最近、組織の制限を「探す」ように言うと同時に、(頭ではなく)手が(≠手で)探し始めるように(注3)指導しています。
極端な場合には、「感じるな」とまで言います。
「感じる者」が出しゃばらないようにするためです。

(注3)オープンパス・メソッド(R)の用語を使って言えば、「無人称的に」「非意識的に」ということです。

手は考えたり、想像したり、迷ったりしないので、情報を素早く感知します。
エンドフィールには、クライアントの身体に「手」が触れるや否や到達し、「私」は後からそれ(到達)を感じます(注4)

(注4)先日、傾聴について書きましたが()、傾聴が行われる際にも、「頭」は介入すべきではありません。
傾聴も本来、素早い技術です。
「じっくり聴く」などは、妄想するに等しく、自分の考えに耳を傾けているのであって、相手の身体から遠ざかる行為であるかもしれません。

2015年05月13日

技術としての「傾聴」

「傾聴」の一般的な意味は「耳を傾けて聴き入ること」だろうが、ボディワーカーは「手を用いて聴き取ること」を学ばなければならない。
ボディワークで言う「傾聴」は厳密な技術なのだ。
だから「傾聴しなさい」と言われて、すぐに誰もが出来るようなものではない。

「傾聴」は触察の延長線上にある技術と言えるが、時間をかけて触察を行えば、それが「傾聴」となるわけではない。
実を言うと、「傾聴」は素早い技なのだ。
手を使うが、頭は使わない。
だから例えば、思考が立ち上がる暇などない。

傾聴.jpg


「傾聴」を習得するためには、集中の方法を学ばなければならない。
1.一点に集中しない。(分散集中)
 注意を分散することが必要だ。
2.身体を弛めておく。(弛緩集中)
 身体の緊張は視野を狭くしてしまう。
3.受け身でいる。(受動的集中)
 自ら何かを求めては、求める物事しか見ることができない。
 また、批判しない。

2015年05月09日

膜の連続性/変化は容易に、あからさまに起こる

オープンパス9期生(第9期オープンパス認定ファシャワーカー養成トレーニングに参加中)の方が、習得したばかりの浅筋膜操作を早くも実践してくださったそうで、そのことに関わって、その方からご質問をいただきました。
浅筋膜操作を実施したところ、その直後から自分の身体に(クライアントの身体にではなく)痛みや違和感が出てしまったということでした。


浅筋膜は身体の浅層にあって、全身を包み込んでいますが、面白いことに顔、両手掌、両足底の5箇所で欠けています。
手や足では、それが見た目にも分かります。
手部を縦にして観察すると、手掌側と手背側を分ける線を発見すると思います。
じつは、その線から手掌側には浅筋膜がありません。

bau手.jpg

手背側と手掌側を、反対の手指で触察してみてください。
前者は皮膚が滑走するのに対して、後者の皮膚は動きません。
浅筋膜がある部分とない部分とでは、皮膚の働きが違います。

浅筋膜がない5箇所は、対象に密着する働きがあるのに対して、浅筋膜のある部分には、外からの、および内からの刺激を逸らしたり交わしたりする働きがあります。

  関連記事:触れる、触れられる

ファシャワーカーがクライアントの身体に触れるとき、手(浅筋膜のない手掌)の働きを十分に活かすことができれば、それは触れた部位に密着し、相手の身体と一体化します。
そうなれば、浅筋膜(外的および内的刺激によって絶えず多方向へ滑走しています)を通して、自分の身体に多くの情報が流れ込んできます。

情報は常に受け手を変化させる力を持っています。
手を通して相手の身体から流れ込むのは、情報という名の力であり、それは変化を招きながら、全身を走り抜けます。
しかし、受け手の身体に緊張があると、流れ込んだ力は、どこかで滞ってしまいます。
流れずに滞った力は、その滞った部位に居座り、すぐさま働き始めます。
そうなれば、その部位に不具合が起こるのも時間の問題です。
9期生の方に起こったのは、こうしたことかもしれません。


オープンパス認定パルペーション・トレーニングでは、初回時に「関節感覚」の講義&演習を行います。

  関連記事:触察「関節感覚」

関節感覚を働かせ、全身で触察するというのがオープンパス方式ですが、この方式でファシャワークを実施するならば、全身が緊張することなく、施術による力の流れを滞らせずにすみます。
流れが滞らなければ、施術者は自分の身体に心地よい変化を感じるでしょうし、身体にとっては良い刺激になります。


以前、ロルファーであるジム・アッシャーからクレニオセイクラル・セラピーを教わったときのことを書きました。

  関連記事:タッチによって変化が起こる/個を超えた膜連続体

今では同じことを、膜連続体を介することで難なくできますが、ただし、ジム・アッシャーがどのようにそれを行ったのかは分かりません。

膜は個を超えて連続することが可能です。
例えば、AさんとBさんに手を繋いでもらった上で、Aさんの足首に施術することで、Bさんの頸部の可動域を広げることができます。

私は頻繁にではないのですが、セッションで次のようなことを行ったりします。
クライアントさんと握手をし、握手をした自分の腕をファシャワークすることで、クライアントさんの反対の腕がよく上がるようになったり、前屈がより深くできるようになったりというようなことを。
膜を介せば、変化は容易に、あからさまに起こるのです。
それを知っていただきたくて、そんな余興を行います。

2015年03月06日

「流動」の考察/疼痛解消テクニックの進化のために(2)

私たちは、疼痛解消テクニック(関連記事:   )が「進化」の過程にあると確信しています。

2月14日のブログ記事に、「流動」について書きました。
「流動」とは、疼痛解消テクニックを用いて、組織が変化を起こすときに感じられる微細動の1つです。

私は以下のように書きました。
「施術の影響で、その動きはやがて収束(この言葉がぴったりくる)し、規則的に流れるような動きに取って代わられる。というか、それまで弱化していて、感じ取れなかった流れは、不意に目立つようになる。その規則的な動きは、動脈の流れと分かる」

また、こうも書いています。
「水量は少なくないのに、複雑すぎて水の行き渡らない水路とでも言おうか、それは分散し、勢いが殺がれ、滞っている」


このところ、血管に関わる書籍、論文を読み漁っていました。
そして、血管が周囲の組織の影響で、増殖する(網の目のように増殖するそうです)ということを知りました。
例えば、癌が発症したとか、炎症が起こったとかで、増殖するのだそうです。
勉強不足で、私はこのことを知りませんでした。
増殖して新たに出来た血管には、神経線維も伴っているそうです。


私が感じていた「流動」は、もしかすると、このことに関わりがあるのでしょうか?

例えば、以下のように考えられないでしょうか?
「増殖した血管に流れ込んだ血液が、元からある血管に(疼痛解消テクニックの効果で、筋収縮による圧迫が除かれて)戻るのを感じていた」


ちなみに、癌の周囲に増殖した血管を遮断すると、普通の細胞よりも多くの栄養を必要とする癌は、一時的に増殖することが出来なくなるそうです。