2014年08月14日

逆説的アプローチ(逐語録)/コミュニケーション・スキル

前職は心理カウンセラーでした。
コミュニケーション・スキルが必須の職業です。
言語的なものにかぎらず、非言語的なものも含めて探求しました。

前職の頃に書いた論文の一部を紹介させていただきます。
ただしメインの部分ではなく、逐語録(録音テープを起こしたもの)の部分(及び簡単なクライエントの症状歴)にかぎっての紹介となります。
もはやメインの部分は、私の中で「しっくりこない」内容となっていますので。

この論文を書いた当時、非言語的コミュニケーションを記述する方法を確立しておらず、言語的コミュニケーションの部分しかお伝えできないのが残念です。
実際の場面では、非言語的コミュニケーションによる影響が大きかったと記憶しています。
皆さんには、逐語録の端々からそれを読み取っていただければ幸いです。

ちなみに、ボディワークの手技は非言語的コミュニケーションに含まれる技術に違いありません。


〔ケース〕
クライエント:女 55歳 主婦
家族:夫(58歳) 長女(21歳) 長男(18歳)
主訴:強迫行為
症状の概要:洗剤、薬物、殺虫剤等に対して極度の嫌悪感があり、それらを見ると、触れていなくても触れたような気がして、手の洗浄の繰り返し行為を行なう。繰り返しの回数は、10回の場合と70回の場合との2通りがある。家族の者が説得してやめさせようとすると、症状はかえってひどくなる。最近では家族関係もうまくいかなくなっている。
問題の経過:18年前、第ニ子出産の直後、ホウ酸で生殖器を洗い、そのまま炬燵に入ったところ、激痛とともに子宮から頭に抜けるようなしびれがあった。それ以来、上記のような症状を持つようになった。1年後、某病院で薬物療法を受けたが、症状に変化はなかった。夫、長女に付き添われて来談した。

*面接は全部で4回行なわれたが、ここでは第3、4回面接の逐語記録の一部を掲載する。

〈第3回面接〉
(略)
カウンセラー(以下「カ」と略す):あなたがおっしゃるのは、(洗剤、薬物、殺虫剤等を見たり、触ったりした時の)気持ちの悪さによって、手を擦る回数が違ってくるということですね。で、その回数に2通りあると。
クライエント(以下「ク」と略す):はい、そうなんです。
:1つは、一所懸命洗わなくちゃならなくて、ちょうど70回擦るっておっしゃいましたよね。
:はい。いつも・・・70回擦ると・・・自分じゃね、20回くらいだと思うんですよ。ですけど、主人がそばで数えてると、70回って、ちょうど70回擦ってるって。
:で、もう1つは少ないほう。10回でしたね。
:はい。10回の時もありますし、5、6回の時もあります。
:5、6回の時も?
:ええ。でも、主人は10回だって。やっぱり10回なんでしょう。
:それぞれ、どんなふうに擦りますか? 多いほうから教えてください。
:そうですねえ・・・1・2・3が一番いいみたいですね。
:1・2・3?
:1・2・3、1・2・3。
:1・2・3、1・2・3?
:1・2・3、1・2・3・4・5、1・2。
:今、実際にやってみていただけませんか?
:だから、(両手を擦り合わせながら)1・2・3と、こんなふうですね。
:続けてみていただけません? いつもやるように。
:だから、(数に合わせてリズムをとりながら両手を擦り合わせる)1・2、1・2・3、1・2・3・4・5で、また、1・2・3・4・5、1・2、1・2・3で、これでやめられればいいけど、また、1・2、1・2・3・4・5、1・2・3でしょう。始まったら、もう止まらなくて、1・2・3と、どんどん。(かなり速く擦り合わせ始める)1・2・3、1・2・3・4・5、1・2。1・2、1・2・3、1・2・3・4・5。1・2・3・4・5、1・2、1・2・3と。もうこんなふうに。あれっと思っても止まらなくて。
:じゃ、少ないほうは、どうやります?
:だから、少ないほうは、1・2・3・4・5・6、1・2・3・4で終わって、10回です。
:少ないほうは、(クライエントを真似て)1・2・3・4・5・6、1・2・3・4で終わって10回ですね。
:はい。1・2・3・4で、1・2で、1・2・3・4で、これでも10回になります。だけど、これは少ないほうで、多いと、1・2・3・4・5、1・2・3、1・2。これが延々と続くんです。1・2・3・4・5、1・2・3・4・5もあるし、1・2・3、1・2、1・2・3・4・5もあるし。途中で終わらそうと思っても、分からなくなっちゃって、また始めからやるんですから。だから、分からなくなるくらいなら、分からなくなるほど洗ったんだから、やめろって主人に言われるけど、それじゃ気が済まない。もう40回だ、もう50回だ、もう60だ、さあ、終わりか、なんて言われて、どうにもなさけないし。
(略)
:ですから、2通りありますね。で、気持ちの悪さを感じられて、手を洗いたくなる時に、どちらのほうか、つまり、多く擦らなくちゃいけないほうか、少ないほうか、自分で分かりますね?
:ええ、もちろん分かります。感じますもの。
(略)
:で、その時にやっていただきたい課題があるんですが。
:はい。
:これは、正確にやっていただきたいんです。
:何をやればいいんでしょう?
:気持ちの悪さを感じて、手を洗いたくなりますね。その時に、多いほうだと感じたなら、80回擦ってください。
:はい。80回。
:必ず80回。それより少なくちゃだめですよ。必ず80回。
:あ・・・そう。
:80回より少なくちゃだめですよ。
:80回・・・
:分からなくなると困るんで、数え方も決めておきましょう。
:どういうふうにすればいいんですか? 数なんて分からなくなっちゃうんですよ。
:まず、ゆっくり擦りましょうよ。こうじゃなくて(両手を速く擦り合わせながら)。ゆっくり、しっかり、丁寧に擦ったほうが、きれいにとれるでしょう?
:あ、そうですよね。
:ですから、ゆっくりと。ちょっと同じようにやってみてください。こんなふうに(ゆっくりと両手を擦り合わせてみせる)。
:あの、こんなふうですか?(カウンセラーを真似る)
:(数を数えながら、ゆっくりと両手を擦り合わせ始める。クライエントもそれに合わせて擦り始める)1・2・3・4・5・6・7・8・・・(数え続ける)・・・42・43・44・45、だんだんゆっくり、47・48・49・50・・・(数え続ける)・・・77・78・79・80。こんなふうにやってください。
:先生、こうやって(両手を拝むようにして擦り合わせる)擦るんですか?
:どうやって擦るのが一番いいですか?
:ん・・・(両手を擦り合わせる)こっちの手を洗うでしょ。最初に、1・2・3で洗って、今度はこっちを洗ったほうがいいかな。だから・・・
:だから、最初に、1・2・3で洗ったら、今度はこっちを洗う時には、4・5・6ですね。1から80まで、ずーっと通して数えます。
:こうやっちゃったほうがいいでしょうね、先生。こう(片方の手の指先を反対の手の手首のところまでもってくる)。こういうふうにやるほうが洗えますものねえ。
:そうですね。洗えますね。では、こうやって(クライエントを真似る)。
:そうですね。
:1・2・3・4・5。
:ああ、そうですねえ。それなら・・・
:それで、声を出して数えてください。
:声を出すの?
:出すの。
:(笑い出す)
:出してください。・・・出してください。
:近所に(笑いながら)。
:近所に聞こえますか?
:聞こえますよねえ。私は、大きな声なんですよねえ(笑いながら)。
:では、小さな声で。小さな声でいいですよ。
:あ、そうですか?
:ちょっと、練習しましょう。今やってみてください。1・2・3・4・5。
:(両手を擦り合わせる)1・2・3・4・5。
:その声で聞こえますか、近所に?
:聞こえますねえ。
:では、もう少し小さな声で。
:あのう、口で・・・頭の中で数えるだけじゃなく、口で言ったほうがいいですか?
:間違えやすいし、分からなくなりやすいでしょう? そうすると、余計に大変でしょう?
:(両手を擦り合わせながら)1・2・3・4(4からカウンセラーも一緒に数え始める)・5・6・7・8・・・(数え続ける)・・・77・78・79・80。あのう、手の平はきれいになりますよねえ。だけど、指の間はきれいになりませんねえ。
:では、どうします?
:こうですねえ(指の間も擦る)。
:なるほど。(クライエントが示した擦り方で擦りながら)1・2・3・4・5・6・7・8。いいですね。9・10・11・12・13(13からクライエントも一緒に数え始める)14・15・16・17・18・19・20(20からカウンセラーは数えるのをやめる)。
:(両手を擦り合わせながら)21・22・23・24・25、ああ。
:洗い方はどんなふうでもいいですよ。きれいに洗えると思われれば。
:あ、どんなふうでもいいわけですか?
:だけど、数は通して。それから、ゆっくりと数える。
:あ、ゆっくりね。
:ゆっくり数えたほうが、丁寧にゆっくり擦ったほうが、とれますでしょう?
:そうですねえ。
:いいですね?
:はい。
:それで、少ないほうは、15回にしましょうか。
:ああ、15回。やっぱり同じように?
:ええ。同じように。
:分かりました。
:数えているうちに、もし飽きてしまって、途中でやめたいと思われても、必ず最後まで数えてください。数を通して、ゆっくりと。
:そうですか・・・
:途中でやめないでください。多いほうは80まで必ず数えます。少ないほうは15まで必ず。いいですか? それより少なくちゃだめですよ。
:あの・・・かえって悪くなりませんか? そういうのは・・・いいんですか? 洗っちゃっても・・・
:ええ。洗ってください。次回までの1週間だけですから。いっとき悪くなったように思われるかもしれません。ですが、必要なんです、この課題が。確実に良くなっていくために。それと、もう1つお願いがあります。
:はあ・・・
:観察をお願いしたいんです。あなたの症状の仕組みを、はっきり知っておきたいんです。そのために、すすんで症状を出していただく、つまり洗っていただくわけですが、その時の自分の気持ちや、心の中に起きることを観察していただきたいんです。ですから、洗うだけでなく、きちんと観察もお願いしておきます。いいですか?
:ああ、その結果を見て・・・
:ええ。その結果を見て、これからの治療方針を決めていきましょうよ。そのほうが、
:ああ、そのほうが正確に方針が・・・という・・・
:そうですね。そう思われませんか?
:そうですね。
(略)
:もちろん、ご主人やご家族の方には、今日帰ったらきちんとお話ししてくださいね。これは課題だからとおっしゃってください。内容も具体的に話して。これをやらなくちゃならない理由もね。よろしいですか?
:はい。
:どういうふうに話されます?
:これは課題だからと言って・・・回数をゆっくり通して、少ないほうは15回で、多いほうは80回・・・
:それより少なくちゃだめですよ。それに、声を出して数える。1・2・3・4・5・6・7・8と。
:でも、それでも分からなくなっちゃうかもしれません。そうしたら・・・
:そんな場合もあるかもしれませんね。ですが、かまいません。分からなくなったら、数え直してくださればいいですよ。80回以上になるかもしれませんが、それはかまいません。でも、少なくちゃだめですよ。たとえば、1・2・3・31・32・33なんて、とばして数えたりしちゃだめですよ。重なって数えるのはいいです。80以上だったら、まあいいでしょう。15回のほうもそうですよ。
:はあ・・・
:80回より、または、15回より少なくしないでください。いいですか?
:はい。
:では、もう1度聞かせていただけません? どう話されるおつもりか。
:・・・課題だということを言って・・・ん・・・
:課題だということを言って、その課題の内容もおっしゃってください。
:ああ、はい。
:課題の内容ですが、気持ちの悪さを感じて、手を洗いたくなりますね。その時多いほうだと感じたなら、80回手を擦ります。1から80まで必ず通して、ゆっくり声を出して数えます。少ないほうだと感じたなら、15回擦ります。やはり1から15まで必ず通して、ゆっくり声を出して数えます。で、観察も忘れません。
:ああ、観察も・・・ですね。
:そう。症状の仕組みをはっきり知って、治療の方針をきちんと立てるためでしたね。ですから、すすんで洗っていただいて、そのうえで観察ということです。
:ええ・・・だけど・・・できるかなあ、こうした課題が・・・
:まあ、大変ではありますよねえ。
:ええ。
:たとえば、こんなふうに考えてみてください。・・・ええと、あなたも娘さんも、お魚が好きだとおっしゃってましたよねえ、たしか? 変な例なんですが、お魚を料理する時、まな板の上にのせないと、料理しにくいですよねえ。泳いでるお魚なんて、とても料理できませんでしょう? この場合もそうなんです。特に、18年もずっと自由に泳いできた症状ですから。まず、きちんとまな板の上にのせて、症状をはっきりさせてからでないと、きちんとした治療ができませんでしょう?
:ああ、そうですよねえ。それはそうですねえ。ん、だけど・・・
:大変だと思われたら、こんなふうにしてみてください。手を擦るほうではなく、数を数えるほうに集中するんです。だって、擦るほうは、長年やってらして体が覚えてるでしょう? だから、数えるほうに集中するんです。
:ああ、数えるほうにね。
:分かります?
:ええ、分かります。
:ただ数を数えるだけなら、80までなんか簡単に数えられますものねえ。ですから、そんなつもりで。どうですか?
:そうですねえ・・・
:どうでしょう?
:これは・・・あれですか? あのう・・・我慢できれば・・・手を洗うのを我慢できれば、やらないでいいですか?
:我慢できれば、というと?
:つまり、洗わなくても大丈夫なんだと自分で納得すれば・・・というか・・・もしも洗わなくても大丈夫だと思えたら、洗わずにいたほうがいいですよねえ? ・・・だって、そんな時に観察しても、きちんとできませんでしょう? もう大丈夫だと思えたなら、その時には症状が出てないわけですものねえ。だから、観察しても・・・
:ん・・・
:だって、そうですよねえ?
:大丈夫だと思えたらねえ。まあ、しかたないですね。そんな時は洗わなくていいでしょう。ですが、ほとんどの時は、大丈夫だと思えないんじゃないかと思うんですよ。ですから、大丈夫だと思えなかったら、必ず課題をやっていただけません?
:ええ、それはそうですね。分かりました。あのう、まな板にのせるんですね(笑う)。
:必ずですよ、必ず。さぼらないでくださいね。では、しつこいようですが、もう1度おっしゃってください。ご家族の方にどういうふうに話されますか?

〈第4回面接〉
(略)
:まず、課題をやられた結果を教えていただけませんか?
:ん・・・きちんとは、できなかったですかねえ・・・
:きちんとはできなかったですか?
:先生に怒られちゃうかもしれませんが(笑いながら)、あれから、我慢に我慢を重ねたんですねえ。
:我慢に我慢を?
:手を洗うのをです。それでもう、大変に、手を洗うのが少なくなったんです。
:少なく?
:はい。回数が・・・1日に洗う回数も手を擦る回数も、少なくなりました。おかげさまで。
:ええと・・・課題では、少ないほうは15回で、多いほうは80回と。
:あのう、そんなにやらなくて、済んだんですね。
:ん・・・済みましたか。
:ええ。そのかわり、我慢をしてましたけれども。先生は、大丈夫と思えたなら、やらなくていいとおっしゃいましたけど・・・本当には、大丈夫だとは思えなかったんですが(笑いながら)・・・先生には申し訳ないんですが、我慢しちゃったんですね。
:ああ、そうですか。
:でも、最初は我慢のしっきりだったんですが、だんだんと大丈夫になっていって。
:そうですか。
:最初のうちはねえ、ええと、土曜日(前回面接は金曜日)あたりは、大変でしたねえ、我慢するのが。だけど、あとはだんだんと、1日増しに大丈夫になっていって。
:結局、全然やらなかったんですか?
:もちろん、普通に洗うのはありますよねえ。普通の、正常の範囲で洗うのは。でも、あとはほとんど洗わないで済んじゃう。
:ほとんど?
:ええ。ですから、たとえ洗っても、簡単に5回から15回ってところでしょうねえ。
:前回の面接の時までは、多いほうが70回、少ないほうは10回は擦らないと気が済まないとおっしゃって。
:ええ、だから、済んじゃう。気が済んじゃうんですねえ、今は。だから、70回のほうが15回くらいになって、10回のほうが5回かそのくらいになったんですよねえ。
:ああ、そうですか。・・・そうすると、課題のほうは、ちゃんとできなかったですね。観察のほうも・・・
:そうですねえ。でも、大変よくなったんで。
:ええ、そうですねえ。
:本当に、ねえ。
:でも、あのう、少しは観察できました? もし少しでもできたのなら、お聞かせいただけると、今後の方針の参考になると思いますので。
:ああ、そうですか。・・・そうですねえ・・・でも、それがねえ、観察するよりも、だんだんとよくなっていったんでねえ。
:ええ。
:最初はね、自分で我慢して、言い聞かせていたわけですよ、大丈夫だって。それがだんだんと、日増しによくなってきたんですよねえ。
:ああ、そうですか。
:今朝あたりなんか、すごくいいと思います。全然違ってきましたねえ。
:全然違ってきましたか。
:ええ、おかげさまで。・・・なんだか、暗闇から外へ出たって感じで。
(略)
:ご家族の方々の対応はどうですか?
:そうねえ・・・やっぱり家族が、わりかた暖かく包んでくれますから。
:ああ、そうですか。
:ええ。そうじゃないとやっぱりねえ、悪くなっちゃいますよねえ。
:そうかもしれませんね。
:主人が優しい声をかけてくれれば、良くならなくちゃな、自分でも頑張らなくちゃいけないな、と思いますもの。
:そうですか。
:ええ、前までは、主人なんか口うるさく言ってたんで、私もカーッとなって、余計に悪くなっちゃいますよね。それがね、今日なんかも、大変だな、頑張れよって、お店に出る前に優しく声をかけてくれて。そうするとやっぱり、良くならなくちゃなと思うんですねえ。それで私も洗わなくなってきてねえ。
:奥さんが洗わなくなってきたんで、ご家族の方々も、きっと喜ばれているんでしょうねえ。
:あ、そうですねえ。やっぱり違うんですねえ。それもあるでしょうね。
:そうすると、お互いに助け合っているわけですね。
:あ、そうですねえ。
:素晴らしいご家族ですね。
:ええ、ありがとうございます。
:奥様も、ご主人も、お子様方も。
:ええ、ええ。子供たちもね、私が洗ったり我慢したりしてるのを、黙って見ていてくれましてね。それで、良くならなくちゃなと思いましてね。
(略)
:ですが、まだ(症状が)残ってますね?
:ええ、まだ残ってます。でも、もうちょっとなんで。ちょっと気になって洗うくらいなんですよ。
:ちょっと気になって洗うくらいですね。
:ええ。ほとんどは大丈夫ですねえ。
:で、ちょっと気になって洗う時、確か先ほど5回か15回擦るとおっしゃってましたね?
:ええ。だいたいそのくらいです。
:あのう、つまり、少ないほうが5回で、多いほうが15回ということですね。
:ええ、そうなんです。でも、日増しに良くなってますからねえ。
:ああ、そうですか。
:ええ、ええ。最初のうちは苦しかったですよねえ。我慢していると歯ぎしりするほどでしたから。それが今はね、あっと思っても、洗わずに楽に済んじゃいますよねえ。
(略)
:(1日に洗う回数も、1回に擦る回数も)もう、全然なくなって・・・いえいえ(笑い)、少なくなってきましたが、少なくなっただけではなくて、きっちりと治してしまいたいでしょう?
:(笑いながら)ええ、そうですねえ。
:課題を続けてみてほしいんですよ。ただ、擦る回数は少ないですし、ちょっと気になって洗ってしまう時だけで、もちろんいいんですが。
:ああ、そうですか。分かりました。
:少ないほうは10回です。(両手を擦り合わせながら)1・2・3・4・5・6・7・8・9・10です。そして、多いほうは20回お願いします。(両手を擦り合わせながら)1・2・3・4・5・・・(数え続ける)・・・16・17・18・19・20ですね。
:ああ、そうですか。
:数が少ないですから、そのぶん真剣にやられて、真剣に観察してくださいね。ええと、声を出して数える。ゆっくりと通して数える。それと、ご家族の方々にはまた話されてくださいね。
:ええ、分かりました。けれど、観察といっても、なんだかもう洗わなくて済んじゃうような気がするし、このまま治っちゃうような気もしますけどねえ。
:おっしゃるように、このまま治ってしまうかもしれません。けれど、万全を尽くしましょうよ。もしものことを考えて、観察しておきましょう。
:そうですか?
:ご家族の方々に何とおっしゃるか、また言っていただいてよろしいですか?(笑い)
:ええ、ええ、よろしいですよ。(笑い)
(略)

〈電話連絡〉
第4回面接から1週間後、クライエントから電話で連絡があり、症状がまったく起きないということなので、まだ残っている面接回数(5回分の面接の契約をした)は「貯金」ということにして、いつでも来談できるような形で終結した。また、完治したというクライエントの報告に対して、カウンセラーは、「多分あなたの治りたいという気持ちが強く働いたためなんでしょう」と応答した。なお、家族の者ともとてもうまくいっているとのことであった。

〈予後〉
終結から2ヶ月後、クライエントの長女(心理学専攻の大学生、カウンセラー志望)から電話連絡があり、18年間苦しんできた症状がきれいにとれた様子を伝えてくれた。また、2年3ヵ月後、クライエント本人から以下のような電話連絡があった。すなわち、終結から6ヵ月後、下痢をしたのがきっかけで症状が再発しそうになったが、「また(面接期間と)同じように我慢に我慢を重ねれば」必ず治癒するという確信とそれによる安心感があったのと、何よりも家族に対して迷惑をかけたくないという思いがあったので、結局は再発せずに済んだ。そして、それ以後まったく何事もなく元気で過ごしているとのことであった。

(小川隆之 生月誠 1992 逆説志向の適用過程の分析 ―強迫行為のケース― カウンセリング研究,25,112−121.より)

2014年08月10日

再度、エビデンスについて

隣接業界というか、同じように身体に関わる職業の方々との間で、エビデンスのことが話題になった。
以前、その職業の方々(今回とは違う方々)と同じ話をした際には、まったく意見がかみ合わなかった。
ところが今回は、双方の考えがだいぶ近いように感じた(私の気のせいかもしれないが)。

私の考えは、以前(今年の1月21日)に連続ツイートしているので、それらを(少し手を入れて)ここに再掲載しようと思う。


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エビデンスを和訳すると「明証的事実」だ。
エビデントであるとは「明証的」であること、すなわち「誰が行おうと同じ手続きを踏めば同じ結果を得ることができる」ということだ。

しかし、人と人が出会う現場で「誰が行おうと」ということはあり得ない。
また、「同じ手続きを踏めば」ということも無理な話だ。

「誰が行おうと」という条件は、現場の人間から確実に「個」性を奪うだろう。
現場では、個人間に良好な関係が結ばれていなければ、「手続きを踏む」ことさえできない。
関係が良好か否かで、全く結果が違ってしまう。

「同じ手続きを踏めば」ということだが、それ自体が実践場面を考えれば困難なことだ。
対人間では、予測不可能なことが起こり得る。
一連の手続きを常に同様に適用することなど、不可能に近い。

細かいことを言えばきりがない。
「エビデンス」という概念は研究者向き(研究者にとって研究が容易)であって、決して実践者向きではない。
研究者たちは、自らの都合で実践現場を「劣化」させてはならない。

2014年07月23日

疼痛解消テクニックの成り立ち

イーズポイントリリーステクニック( **)の理論をヒントに疼痛解消テクニックを開発していた当時、合氣道の動画を繰り返し観ていた。







疼痛解消テクニックにおける、疼痛を起こしている組織および器官を「行きたい方向へ行かせる」という進め方、ホールディングの選び方、手技を用いるタイミングなどは、今にして思うとこれらの動画から影響を受けたのかもしれない?

疼痛解消テクニックがいちおう完成し、その後ばらくして、私の施術を受けたクライアントさん(オステオパシーを勉強中)が言うには、私から受けたテクニックがストレイン・カウンター・ストレインによく似ていると。
違うのは、私から受けたテクニックでは疼痛部位の組織が変化する過程が、その場でありありと感覚できることだそうだ。

気になって、関連の書籍などを読んでみたが、どれも極端に分かりにくい。
そのテクニックをもとに施術をする治療院があると聞いたので、試しに受けに行った。
ポイント(オープンパス・メソッド(R)のテクニックでは、エントリーポイントを用いる)を見定める精度が低すぎて、唖然としたのを覚えている。
どうやら身体内の張力(および圧力)関係(エンドレス・ウェブ(注))を触知することなしに、だいたい部位ごとに決まった手順でポイントに働きかけていくらしい。

(注)ウェブの結節点が1つ消滅すれば、それだけで他の結節点の位置や力関係は変わるはずだというのに。

最近、テクニックの向上を目指して、再びイーズポイントリリーステクニックを学び直している。
合氣道の動画もたまに観る。

2014年05月22日

「身体には1つの筋肉しか存在しない」という考え

オープンパス認定パルペーション・トレーニングでは、130前後の筋肉を個別に、他の筋肉と正確に鑑別しながら触察していく。
ただし正確に鑑別できるとしても、これらの筋肉は、それぞれが単独に働くのではない。
つまり決して機能的に独立しているわけではない。
さらに言ってしまえば、機能的に個体性があるわけではない。

「身体には1つの筋肉しか存在しない」(トム・マイヤースもそう言っていたが・・・)という考えも、あながち間違いではない。
しかしそれでも私たちのトレーニングでは、筋肉をユニットごとに正確に鑑別し続ける。
常に有効(精確、的確、効果的)な施術を行うためには、それは最低限必要なことだ。

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第2回公開セッションを開催!参加者募集

2014年03月15日

ボディワーク徒然/ワーキングメモリのことなど/最近のツイート

理想の身体?勝手にそれを思い描くのならよいけど、その理想からマイナスしてクライアントを評価するのってどうだろう?だいたいその理想ってどこから出てきたの?誰でもその理想に向かわせようというのだろうか?…ていうか、その考え方って危なくない?(2014/3/7)


「考えないでやる」のが当然とは言ったけど、それってつまり「習熟すれば」かつ「実践では」そうなるってこと。スキルが身に付く前に「考えないでやる」のは「場当たり的にやる」のと同じになるかもよ。(2014/3/7)


「考える」とは言っても、スキルを身につける場合には、「からだを伴って」考えなければダメです。〈陳述記憶〉ではなくて〈非陳述記憶〉に落とし込みたいわけだから。(2014/3/7)


スキルの学習。学習中はワーキングメモリを積極的に働かせる。ただし機会は限定して。小脳/運動皮質回路の活性が先で、必要に応じてワーキングメモリが活動するように。つまりはフィードバックを受けてから活動するということ。私たちにとっては大半が意識作業。
学習後はワーキングメモリに楽をさせる。任せるのは、長期記憶から必要な情報を選択収集し、現場の状況と擦り合わせるくらいの仕事。余った時間は待機(何かあれば出動)。つまりは脳にフィードフォワード制御をさせるということ。私たちにとっては大半が無意識作業。(2014/3/7)


学習後のワーキングメモリには、広く、遠くまで展望できる余力があるから、「舵取り」の仕事を任せるとよい。(2014/3/7)


…それを「肉化された思考」と言おう。そうなればもはやワーキングメモリが忙しく働く必要はない。「肉化された」とは「フィードバック制御に依存しない」ということ。その行為・行動は「フィードフォワード制御」に基づくことになる。(2014/3/9)


思考を自らの行為・行動に関するイメージ操作として積極的に用いること。それがつまりワーキングメモリを働かせるということ。(2014/3/9)


動作とその学習に関しては、認知のコストを上げ下げすることを考えるよりも、ワーキングメモリを持ち出したほうが手っ取り早いし、現場での使い勝手もずっとよい。(2014/3/10)


自然な動作であるほど思考は絡まない。ワーキングメモリが突発事に備えて控えに回る(その動作を学習する際には最大限に稼働するが←つまりはフィードバック制御)。脳は現場に必要な情報を長期記憶から引き出す。フィードフォワード制御で動作が起こる。(2014/3/10)


自分に対して革命を起こす。大きなイベントなど必要ない。他者や環境との関係、行動、あるいは単純に動作を変えることを通して。過去(記憶)からではなく、今ここで情報を得て。(2014/3/10)


自分に対して革命を起こす。行為・行動において、フィードフォワード制御からフィードバック制御へと移行することで。(2014/3/10)

2014年03月07日

ボディワーク徒然/最近のツイート

話すというのは1つの行為だ。話者によって、特定の時に、特定の場で、特定の状況で、特定の関係の中で為される。話されたことに前提があるときに、その内容だけに注目するというのは適切ではないだろう。(2014/2/11)


ゲーム型の、特に対戦相手が存在するようなパフォーマンスにおいては、個々の動作が優れていること以上に、それらの動作を用いて複数のタスクを同時並行的に処理する能力が必要である。(2014/2/21、改)


パフォーマーにとって必要なのは、パフォーマンスに応じた適切な心身状態を創出する能力であって、単に身体的な〈緊張―弛緩〉のコントロールではない。(2014/2/21、加)


適合性、効率性、美しさ、スピード、タイミング…
パフォーマンスにおいて、多くの点で成果を上げるためには、ワーキングメモリを滞りなく機能させる必要がある。(2014/2/22)


心―身は見え方は異なるが、同一物の反映である。しかも共に、限られた反映である。ただし、1つのシステムではない。(2014/2/24)


「顕れ」としての身体を支えるのは、〈からだ soma〉である。身体は動くもの、あるいは動くために待つものであるが、〈からだ〉の性質を帯びてもいる。だから、ただ在ることもできる。(2014/2/24)


構えの形、あるいは無形。動作筋(するための筋 doing muscles)→脱力。安定筋(あるための筋 being muscles)→支持。(2014/2/24)


私たちにそう見える、安定した形、構造というものは、私たち人間の、時間、空間、意味などを把握する能力に依存する。(2014/2/27)


〈ソマティカルワーク〉を各種パフォーマンスの向上に「直結」させるために、「ワーキングメモリ」という概念は有用である。(2014/3/4)


熟練すれば、セッション運びは「オートパイロット」になる。ただし状況が大きく変化したりすれば、それに応じてワーキングメモリをオン・オフする必要がある。(2014/3/4)


多くのものに注意を払うほど、その直後にワーキングメモリは強化される。(訓練の観点から)(2014/3/4)


多感覚を同時並行的に働かせることはワーキングメモリを強化し、そのために必要とされる〈受動的注意集中〉はワーキングメモリの使用をスムースにする。(訓練の観点から)(2014/3/4)

2014年02月13日

ボディワーク徒然/オープンパス・メソッド(R)/最近のツイート

姿勢分析。…分析することもまた、関わることに違いない。関わることであれば、それによる変化は当然のこと。(2013/7/5)


被分析者の身体に何らかの痕跡が見つかるだろう。それは分析者が残したもの。…言ってみれば、分析者に向けた表現なのだ。(2013/7/5、加)


あなたは「見るもの」であって、「見る」にはなれない。そして「見るもの」であれば、「見られるもの」に影を落とす。(2013/7/5)


グループで「クレニオセイクラル」をリードすると、多くの場合、リズムが一致する。多数の脳がたった1つのリズムを刻み始める。根本的なリズムがそうであるなら、人間はそんなふう(?)にできているのか?・・・また、このリズムは制御可能ということか?(2013/8/25)


例えば〈私〉は、食物が十二指腸を通る度に大十二指腸乳頭が開閉する(オッディ括約筋による)ことに気づかない(気づくことができない)。・・・〈私〉は〈からだ soma〉が(生きるために)行うほとんどのことに気づかない。(2013/9/4)


呼吸のリズムは寄せては返す波のリズムに等しいという。人間の持つリズムの全てが自然のリズムに対応するという。(2013/9/15)


ホールディングは単に「ホールドする」だけではない。例えば問題部位を他の部位から分離したり(例えば周囲のトーンを変える)、逆に他の部位と連結させたり(例えば協応運動を誘導する)。(2013/10/30、略)


オープンパス・メソッド(R)における内臓操作は、臓器自体の不調以外には、例えば動作改善を目的に実施される。…ピルエット(バレエ)の上達を目的に、腹膜、間膜、腹膜内器官が操作される。腹膜内器官の自由が確保されると、動作は見違えるほど洗練される。(2013/11/28)


解剖学書に記載された筋の作用には注意すること。それは基本肢位が基準になっている。肢位が異なれば作用も異なる。逆の作用になることもある。(2014/2/6、略)


天才はそう成る過程を知らないのではなく、持たないのだ。誰かがそのワザを学びたいと思っても、いずれにしても、天才はそのワザを教えようがない。(2014/2/7)


天才の言葉は、そのワザの成り立ちを表現していない。だから、その言葉を信じるわけにはいかない。天才が誠実に語ろうとしても、それを聞かずに、見て学ぶしか方法はない。(2014/2/7)

2014年02月09日

ソマティクスは「一人称の科学」?

〈ソマティクス〉(somatics)は「一人称の知覚で内側から捉えた身体としての〈からだ〉(soma)を探求する分野」と定義されている。
〈ソマティクス〉はこの定義から「一人称の科学」とされる。
ところが〈からだ〉には「一人称」では関われない(制御できない)領域が広くある。
ちなみに「一人称」とは「私」「僕」「俺」などのこと。

〈ソマティクス〉には「主体の科学」が適している。
ただしこの場合の「主体」は「主観」とは異なる(同じ subject の訳ではあるが)。
「主体」には「自ら(みずから)」と「自ずから(おのずから)」が含まれると私は考える。
もう少し言えば「自ら行う」と「自ずから起こる」が共存する。

〈ソマティクス〉を「一人称の科学」とすると「自ずから起こる」を欠くことになる。
ところが〈からだ〉の現象には「自ら行う」ことよりも「自ずから起こる」ことのほうがはるかに多い。

自転車に乗る際には「サイクリングをする」「買い物に出かける」とは考えても「ハンドルを握る」「サドルに腰をかける」「ペダルを踏む」とはいちいち考えない。
後者については通常は〈からだ〉が担当する。
ただし自転車に乗ること自体を習う段階では「自ら行う」(「私」が行う)範囲が広いであろう。
そして「私」すなわち「一人称」なしには習得できない。

ボディワークの実践者として私は〈ソマティクス〉を「現象研究」だけのものではなく「技法」として捉えたい。
「技法」であるためには「一人称」が欠かせないのは言うまでもない。

私は以下のように考える。
「主体の科学」である〈ソマティクス〉あるいは「技法」としての〈ソマティクス〉は「一人称/自ら行う」から「無人称/自ずから起こる」へのプロセスを制御することである。

2014年02月07日

ボディワーク徒然/オープンパス・メソッド(R)/最近のツイートより

自分が人や物事に対してどう反応するのかを見ることが、対人技法を習得するための準備となる。
自分が無意識に行う言動が、コミュニケーションにどう影響しているのか?(2014/1/11)


拘縮部位を操作しながら自らの呼吸に留意する。
呼吸の通りによってその部位の状態を知る。
科学的ではない?笑(2014/1/11)


何かを選んだり、今がそのときだと決めたりするのは、理屈じゃなくてからだの知恵。大事なことは理屈じゃ決められない。決めたとしてもこころが満足しないだろう。それを選ぼうとするとからだもこころもしゃんとする。そんな選択がある。(2014/1/11)


私たちの、共に生きようとする根源的な志向が、セッションの基調になっているのだと思う。(2014/1/11)


頭はあちこちに気を散らすが、身体はひとつを選ぶ。頭に惑わされてはならない。(2014/1/13)


エビデンス主義がボディワークの現場に持ち込まれたら?
ボディワークは客観主義の「餌食」となる?(笑 ちょっと漠然としている)
例えば、体験よりもデータが重視されるようになって、その結果、「ボディワーク体験」は貧困化する、とか?(2014/1/14)


エビデンス主義はボディワークの世界に何をもたらすだろうか?(もしもそれが取り入れられたとしたら) 個々のボディワーカーの技量よりもマニュアルが重視されるようになるかも(再現性のある結果を出すために)。
そうなればボディワーカーの技術はマニュアルに沿うものほど高く評価されるだろう。 誰が行っても大きな誤差が出ない(つまり大差がない)技術・アプローチが理想となるかも。(2014/1/15)


ボディワークの世界にいわゆる「エビデンス主義」が蔓延するようになったら、ボディワーカーは交換可能(あのボディワーカーとこのボディワーカーを交換できる)な存在となる。そうなれば、熟練者など不必要となるだろう。(2014/1/18)


エビデンス(明証的事実)。…エビデント(明証的)であるとは「誰が行おうと同じ手続きを踏めば同じ結果を得ることができる」ということ。人と人が出会う現場で「誰が行おうと」ということはあり得ない。また「同じ手続きを踏めば」ということも無理な話だ。
「誰が行おうと」という条件は現場の人間から確実に「個」性を奪うだろう。現場では個人間に良好な関係が結ばれていなければ「手続きを踏む」ことさえできない。関係が良好か否かで全く結果が違ってしまう。
「同じ手続きを踏めば」ということだがそれ自体が実践場面を考えれば困難なこと。対人間では予測不可能なことが起こり得る。一連の手続きを常に同様に適用することなど不可能に近い。
細かいことを言えばきりがない。笑…「エビデンス」という概念は研究者向き(研究者にとって研究が容易)であって決して実践者向きではない。研究者たちは自らの都合で実践現場を「劣化」させてはならない。(2014/1/21)


痛みには急性痛と慢性痛がある。
前者であるか後者であるかは痛みの程度に相応する組織損傷があるか否かによる。
二者のうちボディワークで対応できるのは後者。
痛みに働きかけるに際してはそれが感覚以外のもの(情動や身体の他機能)にも関わることを忘れてはならない。(2014/1/23)


すぐれた技術をもったすべての技術者が、その技術を教えるすぐれた教師になれるとはかぎらない。(2014/2/4)


脱力しなさい?「緊張からの脱力」を意味するのだろうか?「完全脱力」では立つこともできない。私なら「バランス」と言う。(2014/2/4)


「自由」と「安定」の微妙なバランス(個体によって異なる)。これが崩れると「不安定」か「固定」のどちらかに陥る。(2014/2/4)


それ以外の何かを選ぶことができなければ、それをどう行うかだ。そうであれば、「何を」ではなく「どう」を極めよう。(2014/2/5)

2014年02月05日

〈エントリーポイント entry point〉についてのメモ

〈エントリーポイント entry point〉・・・技術が確かに伝わるように。用語を作ることで手続きを明らかなものに。なおかつ1つの用語に幅を持たせる(「負荷」をかける?)。

カウンセリング/インタビュー、アナリシス(分析)、パルペーション(触察)、マニピュレーション(施術)、ムーブメント・・・技法体系として、これらを有機的に結び付ける概念が必要であった。しかし結局は、それ以上の意味内容を含ませることになった。

〈エントリーポイント entry point〉を選択する。例えば大きな関節の近くに、骨盤部や頭部に、〈イーズポイント ease point〉として、または〈テンダーポイント tender point〉として。

〈エントリーポイント entry point〉は身体の1部位であったり、1つの言葉であったりする。それは〈システム system〉に進入するための「入口」である。

〈エントリーポイント entry point〉は常に部位というわけではない。例えば「タイミング」であったりもする(つまり地点ではなく、時点ということ)。また部位であっても、必ず「そこ」と確定されるわけではない。

1つの〈エントリーポイント entry point〉は多数の「目的地」に通じる。比喩を用いてよければ、その駅からは行先の異なる多くの列車が始発する。

姿勢、動作に「痕跡」を見る。身体に残された圧力や方向性・・・。〈エントリーポイント entry point〉はそれらの中心部に存在する。

その発見については論理的、分析的に説明できる。ただし事後的に。・・・どう始まろうと、手指の置かれたその部位、言葉の投げかけられたその瞬間に〈エントリーポイント entry point〉が存在するように。

身体上で〈エントリーポイント entry point〉を選択する際には、全体視と触察の技術が欠かせない。・・・全体視というのは、視野を広く(周辺視も含めて)活用する視覚法である。

全体視(中心視+周辺視)と触察の技術を用いれば、〈エントリーポイント entry point〉の発見、例えばそれが〈テンダーポイント tender point〉であれば、その解消、それと同期する身体構造の変化、その動き、方向性などを容易に把握できる。

問題行動、症状、患部などを〈エントリーポイント entry point〉として選択することができる。それらを、構造(問題・症状構造)に進入するための「入口」として扱えばよい。