2015年06月16日

分析のこと、直感のこと/ボディワーク・セッションにおいて

姿勢分析、動作分析に「絶対」はありません。
姿勢や動作に見られる特徴は、様々な(注1)要因と条件によって起こったことであり、かつ起こり続けています(注2)
そして、それら全てを見出すことはできないし、誰もが同じものを見るとはかぎりません。
また、見る者がセッション進行をどう考えるかによって異なるし、見方(注3)によって異なった表現となります。

(注1)「単独の」ではなく。
(注2)ボディワーカーを前にしながらも起こり続けています。
ボディワーカーは、単に分析者ではあり得ず、被分析者の姿勢や動作の中に自らの影響を少なからず見ることになります。
(注3)例えば、技法体系ごとの見方。

もっと言うと、分析の類は対象を切り刻む行為であり(注4)、切り刻み方によって全く異なる「切れ端」が見出されます。
ですから、分析は便宜上のものであると認識している必要があります。

(注4)分析を否定しているわけではありません。

ところで、疼痛解消テクニック(注5)では、分析の前に働く「直感」を利用します。
また、セッション中に働く同様の「直感」が、個々の手技と一体化しています。
ですから、このテクニックに熟達したときには(注6)、分析は分析としての機能を失い、クライアントとのコミュニケーションやラポールを取ることに用いられます。

(注5)オープンパス・メソッド(R)の1テクニック。
オープンパス認定インテグレーティブワーカー養成トレーニングでお伝えしています。
(注6)熟達しても姿勢分析、動作分析は、簡単にではありますが、行います。

「直感」と言うと、捉えにくいものと思われるでしょうが、例えば私たちが日常、何かを選ぶとき、常に理詰めで考えて選ぶわけではありません。
あるいは、自動車を運転していて、歩行者が飛び出したとき、どちらにハンドルを切ってよいのかと考えてからハンドルを切るのではありません。
こうしたとき、「直感」(注7)が用いられています。

(注7)後の例は、「反射」と言ってもよいかと思いますが、そうした身体主導の動きも「直感」と捉えたいと思います。

オープンパス・メソッド(R)では、「直感」を熟練の結果として捉えています。
オープンパス認定トレーニングの中では、「直感」について、ワーキングメモリ(注8)と関連付けるなどして、認知科学的に説明しています。
また、身体に対する際の「直感」を速やかに養う方法として、オープンパスでは、最初のトレーニング(注9)の中で、「エア・パルペーション」という方法をお伝えしています。

(注8)情報の短期的な保持&処理を行う脳機能のことで、学習や思考のための重要な認知的な基盤です。
(注9)オープンパス認定パルペーション・トレーニング。

2015年05月29日

エンドフィールについて(2)

先日、インテグレーティブワーカー養成トレーニングの補講を行い、その際、エンドフィール(注1)の実習に多くの時間をかけました。
本日また、エンドフィールをテーマに個人講座を行うことになりました(別の方に対して)。

(注1)膜組織を押圧したときの制限感覚、手技に対して反発する感覚のこと。

エンドフィールというのは、絶対的なもの(注2)ではありません。(注3)
それは常に、自分が行うワークに見合ったものです。
セッションで何を目標とするかによって、膜組織の捉え方も、ワークの起点となるエンドフィールも違ってきます。
セッションの目標は、常に同じではないでしょうから、セッションごとにエンドフィールが違う可能性もあるわけです。

(注2)「これが唯一のエンドフィールだ」と言うことはできません。

(注3)先日の記事では、エンドフィールを得る上での注意点などについて書きましたが、今回の内容は、エンドフィールを得られた上での話です。

自分が行おうとしているワークに見合ったエンドフィールから始めなければ、たとえ結果は出せたとしても(注4)、望み通りとはいかないでしょう。
例えば、浅筋膜をリリースしたいときに、深部筋膜の制限で待っていては、思い通りの結果を期待できません。

(注4)エンドフィールを得て(制限のある地点で)待つだけでも、身体構造が変化することをお伝えしました。


制限のある地点で待っていると、多くの情報を得られます。
特に関節感覚を働かせながら待っていると、全身に情報が流れ込みます。
その際、自分の得たエンドフィールが適切でないと、過度のノイズが入ってきます(注5)
そういう意味でも、「見合ったエンドフィール」が必要なのです。

(注5)しかし、適度のノイズは必要です。
特に、ワークの方向性を変える必要が生じたときには、ノイズを利用します。


本日は、以上のような内容をお伝えしながらの実習となりました。
エンドフィールを得るだけでなく、制限で待ち、傾聴し、膜連続体を通して疼痛の起点を見つけ出し、疼痛解消を行いました。
私がクライアントモデルになったのですが、左下腿と左足底にあった疼痛が解消し、身体バランスが大きく変わりました。


ところで、先日の記事の(注)で、私は以下のように書きました。
「『考えるな、感じろ』という言葉が、ボディワーカーの標語のようになっていますが、これは対・初心者用の言葉であって、習熟の過程にある者に対しては、『感じるのはおまえじゃない』と付言しなければなりません」

「感じるのはおまえじゃない」とありますが、私たちは習熟の過程で、この「おまえじゃない」現象を体験するようになります。
すなわち、「私」が感じなくても、身体(手)が感じ、「私」に行為させるようになっていきます。

習熟が進むにつれて、しだいに身体(手)が全てを行うようになります。
施術に関わる情報の多くが「私」(意識)を素通りするようになるのです(注6)
「私」(意識)は個々の技術にではなく、セッションという「場」の管理や、目標への牽引、目標の再設定などのためにだけ働くようになっていきます。

(注6)自転車に乗れるようになる過程を思い浮かべてみてください。

2015年05月19日

エンドフィールについて

先日、オープンパス認定インテグレーティブワーカー養成トレーニングの補講を行いました。
エンドフィールの実習に多くの時間をかけました。
その際、エンドフィールについて、少し何か書きたいと思いました。

エンドフィールというのは、膜組織を押圧したときの制限感覚、手技に対して反発する感覚のことです。
この感覚が分かるからといって、必ず効果的な施術ができるわけではないのですが、分からなければ、膜を操作する施術を行うのは難しいでしょう。

エンドフィールが得られる前に、制限の手前で手技を止めてしまえば、膜を効果的に伸長することはできません。
それでは、単に「さわっているだけ」のことに過ぎません(それだけでも組織は弛むので、多少の変化は起こりますが、「明白な結果」(注1)には至らないでしょう)。

(注1)オープンパス・メソッド(R)のデモンストレーションをご覧になられた方には、「明白な結果」の意味が分かるでしょう。

それでは、制限を無視して進んでしまった場合には、何が起こるでしょう。
組織を傷つける可能性があり、組織は施術前よりも悪い状態になるかもしれません(ひどいことにならないのは、組織の柔軟性、回復力に助けられているからでしょう)。

10数年前、ボディワーク業界で、強圧で施術を行う者たちを否定し、排斥しようという声が上がりました。
今から振り返ると、「強圧がよくない、弱圧がよい」というのは的外れな意見、考え方であり、圧など強かろうが弱かろうが、エンドフィールを得られなければ、何の意味もありません(働きかけに見合った効果を導き出せません)。


エンドフィールを得る方法を生徒に伝えようとするとき、私たちは組織の制限を「探す」ように言います。
自分のセッションでは、組織の制限を「探す」ことなど皆無だというのに、そうするように言うしかありません。
そして、そう言うと、多くの方は感じようと懸命になります(注2)
感じようとして、考え、想像し、それがときには妄想にまで発展します(笑)。
本当は、感じることだけを感じ、感じないことを感じようとしてはなりません。

(注2)「考えるな、感じろ」という言葉が、ボディワーカーの標語のようになっていますが、これは対・初心者用の言葉であって、習熟の過程にある者に対しては、「感じるのはおまえじゃない」と付言しなければなりません。

私たちは最近、組織の制限を「探す」ように言うと同時に、(頭ではなく)手が(≠手で)探し始めるように(注3)指導しています。
極端な場合には、「感じるな」とまで言います。
「感じる者」が出しゃばらないようにするためです。

(注3)オープンパス・メソッド(R)の用語を使って言えば、「無人称的に」「非意識的に」ということです。

手は考えたり、想像したり、迷ったりしないので、情報を素早く感知します。
エンドフィールには、クライアントの身体に「手」が触れるや否や到達し、「私」は後からそれ(到達)を感じます(注4)

(注4)先日、傾聴について書きましたが()、傾聴が行われる際にも、「頭」は介入すべきではありません。
傾聴も本来、素早い技術です。
「じっくり聴く」などは、妄想するに等しく、自分の考えに耳を傾けているのであって、相手の身体から遠ざかる行為であるかもしれません。

2015年05月13日

技術としての「傾聴」

「傾聴」の一般的な意味は「耳を傾けて聴き入ること」だろうが、ボディワーカーは「手を用いて聴き取ること」を学ばなければならない。
ボディワークで言う「傾聴」は厳密な技術なのだ。
だから「傾聴しなさい」と言われて、すぐに誰もが出来るようなものではない。

「傾聴」は触察の延長線上にある技術と言えるが、時間をかけて触察を行えば、それが「傾聴」となるわけではない。
実を言うと、「傾聴」は素早い技なのだ。
手を使うが、頭は使わない。
だから例えば、思考が立ち上がる暇などない。

傾聴.jpg


「傾聴」を習得するためには、集中の方法を学ばなければならない。
1.一点に集中しない。(分散集中)
 注意を分散することが必要だ。
2.身体を弛めておく。(弛緩集中)
 身体の緊張は視野を狭くしてしまう。
3.受け身でいる。(受動的集中)
 自ら何かを求めては、求める物事しか見ることができない。
 また、批判しない。

2015年05月09日

膜の連続性/変化は容易に、あからさまに起こる

オープンパス9期生(第9期オープンパス認定ファシャワーカー養成トレーニングに参加中)の方が、習得したばかりの浅筋膜操作を早くも実践してくださったそうで、そのことに関わって、その方からご質問をいただきました。
浅筋膜操作を実施したところ、その直後から自分の身体に(クライアントの身体にではなく)痛みや違和感が出てしまったということでした。


浅筋膜は身体の浅層にあって、全身を包み込んでいますが、面白いことに顔、両手掌、両足底の5箇所で欠けています。
手や足では、それが見た目にも分かります。
手部を縦にして観察すると、手掌側と手背側を分ける線を発見すると思います。
じつは、その線から手掌側には浅筋膜がありません。

bau手.jpg

手背側と手掌側を、反対の手指で触察してみてください。
前者は皮膚が滑走するのに対して、後者の皮膚は動きません。
浅筋膜がある部分とない部分とでは、皮膚の働きが違います。

浅筋膜がない5箇所は、対象に密着する働きがあるのに対して、浅筋膜のある部分には、外からの、および内からの刺激を逸らしたり交わしたりする働きがあります。

  関連記事:触れる、触れられる

ファシャワーカーがクライアントの身体に触れるとき、手(浅筋膜のない手掌)の働きを十分に活かすことができれば、それは触れた部位に密着し、相手の身体と一体化します。
そうなれば、浅筋膜(外的および内的刺激によって絶えず多方向へ滑走しています)を通して、自分の身体に多くの情報が流れ込んできます。

情報は常に受け手を変化させる力を持っています。
手を通して相手の身体から流れ込むのは、情報という名の力であり、それは変化を招きながら、全身を走り抜けます。
しかし、受け手の身体に緊張があると、流れ込んだ力は、どこかで滞ってしまいます。
流れずに滞った力は、その滞った部位に居座り、すぐさま働き始めます。
そうなれば、その部位に不具合が起こるのも時間の問題です。
9期生の方に起こったのは、こうしたことかもしれません。


オープンパス認定パルペーション・トレーニングでは、初回時に「関節感覚」の講義&演習を行います。

  関連記事:触察「関節感覚」

関節感覚を働かせ、全身で触察するというのがオープンパス方式ですが、この方式でファシャワークを実施するならば、全身が緊張することなく、施術による力の流れを滞らせずにすみます。
流れが滞らなければ、施術者は自分の身体に心地よい変化を感じるでしょうし、身体にとっては良い刺激になります。


以前、ロルファーであるジム・アッシャーからクレニオセイクラル・セラピーを教わったときのことを書きました。

  関連記事:タッチによって変化が起こる/個を超えた膜連続体

今では同じことを、膜連続体を介することで難なくできますが、ただし、ジム・アッシャーがどのようにそれを行ったのかは分かりません。

膜は個を超えて連続することが可能です。
例えば、AさんとBさんに手を繋いでもらった上で、Aさんの足首に施術することで、Bさんの頸部の可動域を広げることができます。

私は頻繁にではないのですが、セッションで次のようなことを行ったりします。
クライアントさんと握手をし、握手をした自分の腕をファシャワークすることで、クライアントさんの反対の腕がよく上がるようになったり、前屈がより深くできるようになったりというようなことを。
膜を介せば、変化は容易に、あからさまに起こるのです。
それを知っていただきたくて、そんな余興を行います。

2015年03月06日

「流動」の考察/疼痛解消テクニックの進化のために(2)

私たちは、疼痛解消テクニック(関連記事:   )が「進化」の過程にあると確信しています。

2月14日のブログ記事に、「流動」について書きました。
「流動」とは、疼痛解消テクニックを用いて、組織が変化を起こすときに感じられる微細動の1つです。

私は以下のように書きました。
「施術の影響で、その動きはやがて収束(この言葉がぴったりくる)し、規則的に流れるような動きに取って代わられる。というか、それまで弱化していて、感じ取れなかった流れは、不意に目立つようになる。その規則的な動きは、動脈の流れと分かる」

また、こうも書いています。
「水量は少なくないのに、複雑すぎて水の行き渡らない水路とでも言おうか、それは分散し、勢いが殺がれ、滞っている」


このところ、血管に関わる書籍、論文を読み漁っていました。
そして、血管が周囲の組織の影響で、増殖する(網の目のように増殖するそうです)ということを知りました。
例えば、癌が発症したとか、炎症が起こったとかで、増殖するのだそうです。
勉強不足で、私はこのことを知りませんでした。
増殖して新たに出来た血管には、神経線維も伴っているそうです。


私が感じていた「流動」は、もしかすると、このことに関わりがあるのでしょうか?

例えば、以下のように考えられないでしょうか?
「増殖した血管に流れ込んだ血液が、元からある血管に(疼痛解消テクニックの効果で、筋収縮による圧迫が除かれて)戻るのを感じていた」


ちなみに、癌の周囲に増殖した血管を遮断すると、普通の細胞よりも多くの栄養を必要とする癌は、一時的に増殖することが出来なくなるそうです。

2015年02月14日

「流動」の考察/疼痛解消テクニックの進化のために

身体のどこに触れても、皮下に、流れるような動き(注1)を感じ取ることができるが、圧痛部位に感じる動きはかなり不規則なもので、私たちの知るどの動き(注2)にも当てはまらないように思える。
施術の影響で、その動きはやがて収束(この言葉がぴったりくる)し、規則的に流れるような動きに取って代わられる。
というか、それまで弱化していて、感じ取れなかった流れが、不意に目立つようになる。
その規則的な動きは、動脈の流れと分かる。
それは一時的に(疼痛が解消される際に)、強く脈打つこともある。

流動.jpg

(注1)流動。疼痛解消テクニックを用いる際に、感じられる特徴的な微細動の1つ。他に牽引膨隆がある。
(注2)動脈、静脈、リンパなど。

取って代わった動きが動脈の流れであるなら、最初の不規則な動きの正体は何だろうか。
水量は少なくないのに、複雑すぎて水の行き渡らない水路とでも言おうか、それは分散し、勢いが殺がれ、滞っている(「滞っている」と言っても、浮腫とは違う)。

触察だけでは、分からないこともある(分からなくても、施術を行うのに不便はないが)。
しかし、この複雑な水路が、疼痛の1要因であることは間違いないと思う。
だから、この水路が消えた(不規則な動きが収束した)瞬間に、問題部位から手指を離す(そしてその瞬間に、疼痛は解消される)。

この水路が何であるかを突き止めることで、私たちの疼痛テクニックは再び進化するのだと思っている。

参考ブログ記事(疼痛について、疼痛解消テクニックについて/インテグレーティブワーカー養成トレーニング):   

2015年02月05日

cureとcare

痛みにどう向き合うかに関して、以前からよく耳にするのが、cureではなくcareを目指そう、という考え方だ。
これはもちろん、急性痛ではなく慢性痛に対してだろう。(注1)
また、医療に関わって言われることが多いようだ。

(注1)ボディワーカーは急性痛を扱わないし、慢性痛にしても医療検査(病院受診)の後でなければ扱わない。

痛みを敵視し、解消することばかりに意識を向けていると、痛みのために何もできない状態になってしまう。(注2)
だから、痛みがあっても活動できるような状態を目指そう。
そういう考えのもとに言われているようだ。

(注2)医療では、患者が医療者に依存するなどして、自分の痛みに関して任せきりになり、結果、そういうことが起こりやすいのかもしれない。


もともと、痛みは患部を襲うだけではない。
人間の全体に襲いかかって、幾つもの領域(末梢器官から脳神経系、精神の奥底まで)を占領し、根を張って、「インフラ整備」までやってのける。

そうであればもともと、cureの中にはcareが含まれていなければならない。
患部にある症状は、「痛み構造」の一角にすぎず、全体に対しては、小手先の技(手技)など通用しないのだから。


ただし、cureではなくcareを目指そうという言葉が、力不足(cureの技術がないこと)の言い訳(隠れ蓑)にならないように(自らの力不足を誤魔化してはならない!)。
cureがそのままcareであること(逆もまた真なり)、それがボディワークの技術だと、ボディワーカーは思い出さなければならない。

2015年02月04日

単関節筋と多関節筋に関する考察

この1週間に3度、単関節筋と多関節筋に関するご質問をいただいた。
流行っているとか?(大腰筋、腹横筋、後脛骨筋などが、同業者の間で流行ったことはあったが・・・)
どこかの雑誌が特集でも組んだとか?


単関節筋と多関節筋は、神経回路が別個なのか?
そうではない。
1つの動作が為されるとき、同じ回路の中で、これらは協働するのだ。

これらの筋が協働できるように、つまりコーディネーション(co-ordination)を作り出すために働きかける、というのが、ボディワーカーの仕事(の1つ)なのか?
しかし、「作り出す」とは、おかしな言い草だ。
元来、協働するように出来ているはずなので、それを阻むものを取り除けばよい。


単関節筋は1つの関節を越えればよいので、深部を走行する。
多関節筋は複数の関節を越えなければならないので、浅部を走行する。

単関節筋は安定筋(あるいは、抗重力筋)の、多関節筋は動作筋の役割を担う。
単関節筋は赤筋/遅筋タイプで、多関節筋は白筋/速筋タイプだ。

赤筋/遅筋はニューロンサイズが小さく、神経衝撃に対する反応域値が低い(神経伝達が白筋/速筋よりも速い)。
白筋/速筋はニューロンサイズが大きく、神経衝撃に対する反応域値が高い(神経伝達が赤筋/遅筋よりも遅い)。

したがって、単関節筋(安定筋/抗重力筋、赤筋/遅筋)が先に働き、多関節筋(動作筋、白筋/速筋)がそれに続く。
問題がなければ、そのように協働する(これらの筋の働きに時間差があるのは、回路が別個だからではない、ということ)。


系統発生的に、単関節筋と多関節筋のどちらが先に現れたのか?
発生学を学ばなければ、本当のところは分からないが・・・
私たちはナメクジウオからヒトまでの進化の過程で、重力とどのような関係を持ってきたのか、と考えてみる。

魚が陸に上がったとき、あるいはワニのような腹這いの時代から、身体を持ち上げて四足になったとき、私たちはそれまでよりも、重力に抗して関節を固めなければならなかったのではないか?
四足から二足に直立したときには、どうか?

答えは、明らかではないか、と思うのだが・・・

2015年01月25日

エア・パルペーション再び

エア・パルペーションのことは、以前にも書いた。(
先日、パルペーション・トレーニングの際には、受講生の皆さんに行っていただいた。


「目でさわる、手で見る」

エア・パルペーションを繰り返し行うと、このことが比喩ではなくなる。

すなわち、「目でさわるように見る、手で見るようにさわる」というのではなく、実際に「目でさわる、手で見る」ことが可能になる。

例えば、何か(解剖学的部位だけでなく、何でもよい)を見ると、その何かをさわったり押したりする感じがある。
また、何かをさわると、目をつぶっていても、その何かが見えるし、それを押すと、その何かの中身、圧力が届くあたりまでが、ありありと浮かぶ(どこに「浮かぶ」のかを言うのは難しいが、「目に浮かぶ」のでないことは確かで、やはり「手に浮かぶ」という感じだろうか・・・)。

ボディワーク・セッションでは、見ただけで故障部位、疼痛のある部位などがわかるし、さわる前に圧痛点のある場所、その硬さなどが正確にわかる(デモンストレーションなどでよく行うのだが、アナリシスなしに圧痛点を示すと、驚かれる。示すだけでなく押圧すると、飛び上がる!)。

なぜ、そんなことができるようになるのか?
記憶として蓄積した視覚情報と触運動覚(その他、聴覚、味覚、嗅覚)情報が、エア・パルペーション(注)を繰り返すことによって、互いに結びつくためではないかと思っている。

(注)参加イメージ(⇔観察イメージ)を使って、実際に身体を動かしながら、イメージした対象を触覚化すること。
(例1)歩きながら道路に、あるいは電車に乗りながら線路にさわる。
(例2)オフィスにいて、最寄りの駅まで手を伸ばし、売店のジュースを飲む。
(例3)目の前にいないAさんの大腰筋を触察する。

とにかく、エア・パルペーションを気が遠くなるほど繰り返した。
ただし、成果が出るのに1ヶ月も要しないので、受講生に皆さんはぜひトライしてください。