2023年04月23日

オープンパス・メソッドって、動画を観て真似できる?


「動画を観て同じようにやっても結果が出ない」
それはそうです。申し訳なく思いますが、観てすぐ真似ることができるような技術は、オープンパスには1つだってありませんし、技術の背景にある戦略や理論も意図してYouTubeには公開しておりません。
(「ワーキングメモリ」「言語論」「記憶」「脳科学」などの一般理論については、講義で話していますが)
稀にかなり要領の良い人がいて、「こんな感じか」とやってみたとしても、良くみて25点くらいの内容になるかと思います。

90点くらい取れるなら、その人は天才に間違いなく、オープンパスどころか、どの他の技法体系でも技術的には乗っ取れます。まあ、資格は許されなくても。
だいたいそういう人たちが、いわゆる「創始者」となっています。過去や周囲を見渡せば納得できるでしょう。

オープンパスの特徴としては、正確な触察を基礎に置いた手技力と共感的なタッチがあってこその技術です。
じつは私(小川)は、指先がかなり不器用で、才能的に触察にはまったく向きません。手で物を扱うのも苦手です。しかし、不器用だからこそ、今日の触察力が身についたと思っています。
数えきれないくらいの繰り返し練習と工夫の連続がありました。自分の身体で練習する毎日の中で壊した部分は身体中に隙間なくあります。

オープンパスで触察を習う人たちが私のような苦労をしないのは、たぶん私よりも器用なのと、私たち(小川や斎藤)が苦労したうえでダメだと思った練習法を皆さんにさせないようにしているからだと思います。
昔はそうしたことをお伝えするのがかなり下手で、少し厳しい指導者だったかもしれません(今は年齢と共に丸くなっています)。

とにかく、触察の基礎、そして共感的で高いタッチの質がなければ、オープンパスの技術をYouTube動画を観ただけでは実践できないでしょう。また、そういう作りにもなっています。
挑戦してみてもいいですが、相手に怪我など負わせても責任は持てません。
(私自身、自分の身体で試して、何度も怪我をしています。特に触察や筋膜操作では)
ただし、オープンパスのベーシックセミナーで触察を習った人は、たぶん難なく真似できるでしょう。
(できないという人は、オープンパスの勉強会に参加していただきたいです。今年度は月1のペースでやる予定ですから)

触れることはコミュニケーションです。ラポールが取れていなければ、技術的に何もできません。
触察は文字通り、触れて察するので、ラポールが取れなければ、何の情報も得られないか、間違った情報を得るか、になります。
手技圧にしても、オープンパスには強圧、弱圧という概念がありません。正確に適切な位置・深さに1ミリも狂わず手を置けるか、置けないかによって、結果がまったく異なります。
そして、手技のリズム、方向、速度などを決めるのも、手技による対象部位とのコミュニケーションから得てきます。ファシャワークでもソマティカルワークでも、それは変わりません。
というか、ソマティカルワークのような徒手技術を使わないワークのほうがもっと難しいかもしれません。身体の緊張だけでなく、心の緊張も汲み取って、動き(身体運動)を導くために伝える言葉を作ったり変えたりしなければなりません。

もしオープンパスのYouTube動画を観てくださって、この技術を使ってみたいという人がいらしたら、ぜひオープンパスにお問い合わせください。

催眠と体性感覚イメージ.jpg

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2023年04月13日

生きて、日々を歩く


脳卒中で倒れて、その後、歩けるようになって以来、歩きながら身体を整えていることについて、先日書きましたが、今日は、歩くこと自体に苦労しました。
先日の「自然な一歩」が嘘のような歩き様です。
日々進展というわけにはいかないようです。

しかしこれも、プロセスですし、努力がそのまま実ることなんて、まずないことです。
私は、物事に直線的な因果を求めるほど浅はかではないし、不真面目でもありません。

こんなときは、因果を混乱させて、楽しむしかありません。
科学実験で条件を整えるためにノイズを排除するのと真逆のことをするのです。

私を歩かせるのは、これまでの歩行訓練の成果や、足の持ち上げ方や、今日の良くない体調などだけでなく(もちろん、それらも含みますが)、朝の路で聞く「おはよう」の声、私の発する間の抜けた言葉、心に思い浮かんだ楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、悔しいこと、近所のソフトクリーム店で味合うソフトクリームの味、コーヒーショップから香るコーヒーの香り、気持ちのよい風、雨で濡れて気持ちの悪い靴、肩に食い込む買い物袋の重さ…そんな物事を因果の中に迎え入れます。

下手な歩きがいつのまにか、違う意味合いを持ち始めます。
私が生きて、日々を歩くのは、豊かな景色が見られるからです。


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2023年04月11日

突然のプレゼント


今日(正確には昨日)は仕事の日で、個人セッションがありました。
オフィスへの行き帰り、歩きながら身体を整える作業を行いました。
脳卒中で倒れて、その後、歩けるようになって以来、歩くときは、常に行っていることです。
そうでないと、かなり足を引きずるような歩行になります。
地面や道路の少しの凹凸でも、あるいは凹凸がなくても、頻繁につまずきます。

今日、突然、「自然な一歩」が出せました、というか正確には、出ました。
こういうときは、驚きと喜びが沸き上がります。

日々の作業はすぐに成果を生み出すことはありません。
飽きずにくり返すことで、予想もしない瞬間に、「あ、できた!?」となります。
突然のプレゼントという感じです。
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2023年03月11日

そこには、もう行かない?


入院中、2度、死にかけました。
1度目は救急車で運ばれた入院時。やばかったようです。
2度目は入院後、多分1週間後くらい、原因不明の高熱が出た時。
1度目の記憶はあまりありません。所々覚えている程度。意識なんて遠のいて、気持ち良く死ねそうでした。死ななかったけれど。病院スタッフが周囲で懸命に動き回っていた記憶が何となくあります。ありがたいです。
2度目は意識がはっきりしていました。個室に移されて、色んな検査だの、薬だの、そして手厚く看護されていました。
その2度目の時の体験ですが。
本来は4人部屋だと思うのですが、そこに1人でした。
意識ははっきりしているのですが、(たぶん)人ではない人影を見ました。
ベッドの尾方にある壁が開くというか、通り抜け可能なのです、たぶん、どこか他の世界へと。
で、そこを出入りしている人たちがいる。
黄泉の国に通じてるとか思ったんですが、私はそこには行かない「仕掛け」のようでした。
どういう「仕掛け」なんだろう? 死んだら行くんじゃないの、ほんとはそういうところに、と思いました。
死ぬかもしれないけれど、だけど、そこにはもう行かないというのがわかりました。
そのうちに、人影の出入りが少なくなって、なくなって、壁が閉じました。
寂しくなりました。

それだけの話なのですが。
タグ:黄泉の国
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2022年11月21日

最大のピンチは最大のチャンス

最大のピンチは最大のチャンスでもあります。
これは、私の希望の言葉です。
私は被殻出血で倒れ、左半身に麻痺を負いました。
私はボディワーカーとして時間をかけて磨き上げてきた手技力を一瞬にして失いました。
経験は記憶として身体に残っています。知力も衰えていません。
今後は、麻痺した身体に、物知りの厳しい教師として、1から、否、ほぼ0から指導してていく所存です。
教師として、同時に生徒としての道を歩んでいくことになります。
つまりこれは、チャンスです。こんなチャンスはめったにありません!1つの道で懸命に頑張ってきたので、神様からの、気の利いた、でっかいプレゼントです。ぼくになら抱えられると思ったのでしょう。かなりでかい。笑
自身を神経系可塑性の実験対象にできます。それで得たものを、いつの日にか、皆様と分かち合えたらと思っています。

私の復帰を待つと仰ってくださる方々に励まされて、この道を歩んでいくことを決心しました。私に大きな生きる糧を与えてくださり、ありがとうございます。
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2022年08月02日

60歳の徒然記


秋には61歳になります。
自分の仕事がすでに「後期」に入っていて、その先には「引退」という言葉も頭の隅っこにちゃんとあります。
多分、自分の性格からして、動けなくなるまで働くのでしょうが、「引退」のイメージはきちんとあって、以下のとおりです。
「頭が動か(け)なくなったらセミナーをやめる」「体が動か(け)なくなったら個人セッションをやめる」ということ。

ところで、オフィスの「立ち退き問題」が持ち上がっていますが、これは「後期」の私には、少し堪(こた)えています。
仕事に集中したいのですが、ゴタゴタ、バタバタで、気が散るばかりです。
コロナ禍で小規模化したセミナーの「人数増し」を図っていた矢先なのですが、オフィスの件が確定するまでは、いろいろ予定変更です。

しばらく自分で「立ち退き事件」に対応してきましたが、相手(現オーナー、不動産会社)は「やり手」(多分…)なので、専門家(立ち退き問題に詳しい弁護士)に解決を依頼することになりました。
今はだから、少しずつ落ち着いてはきましたが、まだ解決には至っていません。

しかし、本当にありがたいことに、この間に、多くの方々が声をかけてくださり、中にはご自分のスペースをセミナーのためにお使いくださいと言ってくださる方も現れました。
本当に感謝、感謝、感謝でございます。

自分の仕事の話、「引退」の話をしていたはずが、いつの間にか「立ち退き」の話になってしまいました。
その話については、また次の機会に。
あしからず。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。



浴衣.jpg

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2022年07月20日

オフィス立ち退き(?)顛末記 その3


オフィス立ち退き(?)顛末記 その1

オフィス立ち退き(?)顛末記 その2


(つづき)

翌日、弁護士のアドバイスにもとづいて、立ち退き料の支払い、家賃を無料にすることなどに関して、オーナー会社に要請のメールをしました。
オーナー会社からは、どちらか(立ち退き料、家賃無料)の条件で立ち退いてくれるのか、という質問のメールが来ました。
その質問にすぐには答えずに、どう答えたらよいのか助言をいただくのも含め、再び弁護士に相談しました。

弁護士が言うには、相手方にも弁護士がいるでしょうから、いいようにされてしまう可能性があるので、自分が介入しましょうと。
そして、その場合の手付金、報奨金の話となりました。
最後に、オーナー会社からかなりの金額をとることができる(そのうち25%が弁護士への報奨金)、という話にまで発展しました。
しかし、「立ち退く」ということが前提に話が進むことに違和感があって、そのときは弁護士との契約はしませんでした。

この頃、「オフィス立ち退き(?)顛末記 その1」を書いたのですが、タイトルに(?)を付けたのは、立ち退くことに関して決めかねていたからでした。
その後、クライアント様や正会員の方々、セミナー参加者様から、立ち退きに対する否定的なお気持ちや、励ましのお言葉をいただくようになって、立ち退きしないで済む方法はないものだろうか、と考えるようになりました。

そんなある日、一般社団法人オープンパスメソッド協会の監事をしてくださっているM先生から、居住者の権利は強いので「居座る」こともできるから、ぜひともそうしたほうがよい、という言葉をいただきました。

考えてみれば、12年間、多くのクライアント様にいらしていただき、セミナーを開催し参加者の方々にお集まりいただきながら、このオフィスで活動してきました。
それなのに、今年の2月にオーナーが替わり、そのオーナーが立ち退けというのは、不条理すぎます。

オフィスは、一般社団法人オープンパスメソッド協会の事務局としても機能していますので、協会の理事会に相談してみようかと思っています(本当は、真っ先に相談しなければならなかったかもしれません)。

クライアントの皆様、正会員の皆様、セミナー参加者の皆様、協会理事・監事の皆様、ご心配をおかけして本当に申し訳ありません。
この後の経過をちくいち報告させていただきます。

(つづく)


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オフィス立ち退き(?)顛末記 その2


オフィス立ち退き(?)顛末記 その1

(つづき)

東京都賃貸しホットラインでいただいたアドバイスどおり、弁護士に相談することにしました。
ところが、弁護士に相談の予約をとったのと同時くらいに、オーナー会社から「賃貸借契約満了のお知らせ」が届きました。

賃貸しホットラインの職員が「売り抜け」の恐れがあると言っていましたが、それどころか「立ち退け」と。
その理由は、「貸し室内設備老朽化のため」ということでした。
多分、設備の交換を要求されて、その対応が面倒になったのではないでしょうか。

予約した相談日が来て、これまでに起こった諸々のことを弁護士に話しました。
予約をとった当初は、「設備の交換」に関する〈居住者×オーナー〉問題について助言をいただくためでしたが、問題は「立ち退き」に発展(?)していました。

30分の予約時間の中で、これまでの経緯と、加えてオフィスが主な活動の場になっているので、立ち退くことには問題があることなどを伝えると、それに対していくつか助言をくれました。

弁護士が言うには、まずは、「設備の老朽化」で立ち退きを強いることはできないとのことでした。
借地借家法 第26条・第28条に基づき、それが言えるそうです。
例えば、建物自体がかなり老朽化していて、居住することが危険であるならばそれも通るが、設備であれば交換が可能なので理由にならない、とのことでした。

そしてまた、そのオフィスが主な活動の場であるのなら、立ち退くとしても、それ相応のことを要求したほうがよいとのことでした。
要求する内容としては、例えば、立ち退き料の支払い、立ち退きまでの期間の家賃を無料にする、などがよいと。

(未だ、弁護士との「相談」であって「契約」はしていない段階です)

(つづく)

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2022年07月14日

オフィス立ち退き(?)顛末記 その1


オープンパスは、2010年に現オフィスに移転し、これまで12年間、ボディワーク・セッションとボディワーク関連セミナーを両輪とし、精力的に活動してきました。
12年間で、オフィスのオーナーが2度替わり、現在に至ります。
現オーナーと前オーナーとの間で、今年の2月にオフィスの売買契約があったようですが、現オーナーがオフィスを見分に来るまでは、そのことを知りませんでした。

最初のオーナーは著述家の方で、物件の管理をすべて管理会社に任せていました。
設備関係でよく問題が起きたこともあって、その管理会社の方が、頻繁にオフィスを訪ねてくれ、居住者が心地よく過ごせるように、下水道や照明などの点検をしてくれました。
例外的なことだったとは思いますが、おかげでオフィスを快適に使うことができ、個人セッションはもちろん、セミナーなども頻繁に催しました。

次のオーナは不動産投資家の方でした。
最初のオーナーが物件を売買するに当たって、前述した管理会社の方が仲介したそうです。
候補者が3者あり、そのうち、物件管理を責任を持って行ってくれそうな方を選んだと聞きました。

ところが蓋を開けてみると、物件管理どころではなく、なかなか連絡も取れず、結局、1回も会いませんでした。
そのオーナーが雇って、居住者(オープンパス)との連絡役でもあった設備担当者(1回だけ顔を出しました)は、いつの間にか辞めていて、オーナー側とまったく連絡が取れない時期もありました。

そして、今年の2月に某不動産会社がオーナーになりました。
前述しましたが、私たちはそのことをまったく知りませんでした。

私が知ったのは、そのオーナー会社の担当者Tがオフィスを見分に来たときでした。
担当者Tがオフィスの現状について聞くので、@照明の具合が悪く、付属の蛍光灯を新しいものに交換しても点滅したり、消えてしまったりすること、A空調が効かないこと、B下水の流れがよくないこと、などを伝えました。
担当者Tは、空調は6畳用なので、この部屋には小さすぎるな、と言っていました。
また、照明や下水のことは、自分では分からないので、設備の者をよこす、とのことでした。

驚いたのはその際に、担当者Tがオフィスの物件広告を私に渡し、こちらもいつ売るか分かりませんが、よろしければ、ご自身で買いませんか? という言い草。
不動産会社というより、不動産投資会社というところでしょうか?

翌日、そのオーナー会社の設備担当者が来ました。
まず下水を調べ、簡単な補修をしておく、とのことでした。
照明は安定機が寿命なので、交換の必要がある、とのことでした。

その翌日、担当者Tから電話連絡があり、安定機の件で提案があるとのことでした。
安定機は経年劣化で使えない状態なので、換えたほうがよく、1台1万5千円×6台なので9万円支払ってください、と。
安定機は居住者持ちなの? と疑問を持ったので、その場では応答せず、後ほど連絡すると言って電話を切りました。

その後、東京都の賃貸しホットラインの相談したところ、蛍光灯の安定機は「設備」に含まれるものであるからオーナーが責任を持つべきものであり、空調機についてもその出力が部屋の容量に不適合であれば同様であり、そのことは民法601条、606条に明記されているとのことでした。
加えて、その会社が不動産投資会社であれば「売り抜け」(というのですね?)する恐れがあるから、できれば早めに弁護士に相談するように、と勧められました。

(つづく)

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2022年03月19日

世界そのものが夢


あるシャーマンが私に話してくれました。

夜に見る夢だけが夢じゃない。
この世界そのものが夢なんだ。

君が夜に見る夢の登場人物はぜんぶ君自身だ。
同じようにこの世界の登場人物もそうなんだ。

君にとっていちばん否定的に思う登場人物に成りきるといい。
どうこうする必要はないが手を抜かず真剣に演じなければダメだ。

その登場人物を嫌ったり遠ざけたり戦ったりするだけじゃ君は君の「力のある一部」を取り逃してしまう。

そうなれば君は知らずにその人物と同じ言動をするようになるだろう。
まったく同じじゃないとしても大きかろうが小さかろうが同じようなことを。

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