2023年12月30日

心の奥底に葛藤がある?


心の奥底に葛藤がある、などと言いますが、それってあり得ないと、私は思っています。
意識に上れば矛盾して思えるいくつかの考え(方向性?)も、意識下では問題なく共存しているに違いありません。
1つの考え(方向性)がダメなら、別の考え(方向性)、あるいはその反対の考え(方向性)、というように臨機応変に対応できなければ、私たちが(社会的に、あるいは実際的に)生き残れる確率はかなり低くなります(特に私たちのご先祖様にとっては、文字通り、つまり実際的にそうだったでしょう)。だから、矛盾するいくつかの考え(方向性)をもつことは生存を助けるための安全策であり、それらによって葛藤など起こり得ないと思うのです(葛藤を起こすとしたら、意識によるよけいな介入のせいでしょう)。
アクセルとブレーキは反対の作動をしますが、それらの間には葛藤などありません。それらの反作動によってクルマは安全に目的地に辿り着けるのです。

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2023年12月04日

私の心には大きな「隙間」があって


私の心には大きな「隙間(すきま)」があって、それがずいぶん役に立つという話をした。
すると、周りの皆が心配そうに言った。「その大きな隙間に忍び込まれない?」「〇〇商法とかにだまされない?」「新興宗教とかに入り込まれない?」などなど。

「心の隙間」というけど、よくよく皆の話を聞いてると、その隙間を体で表したら、皆の場合、どうやら「腋の下」とか「膝の裏」とかにありそうなんだ。それじゃあ、くすぐったかったり、嫌な感じがするだろうな。

私の場合、その隙間には歯があるよ。つまりそれは口なんだ。噛み砕くこともできるし、吐き出すことだってできるってこと。(だけどね、異物もOK。咀嚼はけっこうするけど、たいていのモノは、飲み込んで消化にもってくよ)

アメリカインディアンの第6感は髪の毛に宿るっていうけど、私は髪の毛が少ない(無い?)ので、魚のように口を開いてまってるのさ。

ぱぱっこ.jpg

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2023年11月29日

香道は「道」なので


少し前から、香道(こうどう)にハマっています。
香道では、香りを嗅ぐことを「聞く」と言います。
香道の先生のお話をお聞きしていると、この「聞く」は「傾聴」に近いと思います。
ですから、「聴く」という字を当てるのが、私の中ではしっくりきます。
「聴く」ためには、いくら嗅覚の「性能」を良くしても(治療的にそんな手術もできるそうです)ダメで、「心を養わなければならない」というお話。
香道は「道」なので、その道を行かなければなりません。つまり、その道を自分なりに歩いた経験が身になるのです。特殊感覚器を改良しても「聴ける」ようにはなりません。
「それなら、犬を連れくればいいのです」と仰るのを聞いて、なるほどと思いました。

タグ:香道
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2023年11月28日

季節痛?

脳出血で入院した病院を退院したのが、去年の今頃か、もう少し前だった。
退院直後からしばらく、出血した脳の辺りから痛みが消えなくて、左半身が寒く、それとは別に左膝から下に灼熱感(あるいは冷凍感)があった。
季節が変わって暖かくなってきたら、そんな感覚は消えたのだが、寒くなったらまた少し戻ってきた。「季節痛」って感じなんだな、きっと。
血圧を測るとしかし、完全に正常値で、体調も良いし、エネルギーも高い。

担当医からは、雑な言い方で、「脳のこの範囲をやって、よく動けるように戻ったなあ。それこそ奇跡なんだから、そんな感覚なんか、問題じゃないよ。だいじょぶ、だいじょぶ」と。

はい、奇跡を起こす人です、どうも。

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2023年09月30日

香道体験

昨日、初めて「香道体験」をしました。斎藤さんに誘われて香道の講座に参加したのです。
去年の10月末、脳出血で倒れて以来、仕事(セッションやセミナー)以外で人と会う機会が少ないのでは?ということで誘ってくれました。楽しい時間を過ごせました。
香りをかぎわける(香道ではそれを「聞く」と言います)体験も楽しく新鮮でしたが、先生とお話しさせていただいたことがとても楽しかった。
香りの中では伽羅(キャラ)の香りに感動したのですが、先生の温かいキャラにも惚れ込みました。また参加したいと思っています。
ちなみに、伽羅は現在、金と同額のようです。


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2023年09月29日

努力の行方

何か成し遂げたいことがあるとき、きちんと目標を立てるとよいと言われます。
それはそうだと思います。
目標は外側から見えるほうがよいでしょう。
つまり、きちんと明確な到達点を決めておくのです。
「こういう自分に成りたい」というような、内的な目標であっても、「見える化」しておくほうが努力の方向がわかります。

目標設定して、それに向けて努力を始めると、その努力の積み重ねが、私たちを変えていきます。
目標設定以前の自分とは、別人になっていることがないでしょうか?
というか、なっていると思います。
そうなると、以前の自分が見えなかった景色が見えてきます。
もっと向こう側へ到達点を設定し直すか、コースを外れることだってありではないでしょうか?
人生って、思い通り(最初に思った通り)にはなりません。


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2023年08月03日

【ボディワーク・セッションの効果】昨日、斎藤氏のセッションを受けました。

昨日、斎藤氏のボディワーク・セッションを受けました(被殻出血後の後遺症に対して働きかけてもらいました)。
直後の感想は、呼吸がだいぶ楽になり、吸気の際の胸肋関節辺りにあった鈍い痛みがなくなり、左腕も楽になったこと。
今朝になっての感想。ここ最近、寝つきが悪く、しかも夜中に何度も目が覚めていたのですが、昨晩はベッドに入るとすぐに眠れ、夜中に1度しか目が覚めませんでした。たぶん、昨日のセッションで呼吸が楽になったからだろうと、自分では思っています。
もう1つ。構音のリハビリで、「イ」と「ウ」の発生を繰り返すというのがあるのですが、「イ」の発生がかなりしやすい。これは、昨日のセッションで広頸筋をリリースしてもらった効果だと思います。
広頸筋って、どの筋肉という方、やってみてください。「イ」と口角を横に広げると、首の側面に広頸筋が張り出すでしょう?

撮影させてもらったので、近いうちにYouTubeの公式チャンネルにアップします。(セッション時間が1時間なので、観やすいように短く編集します。今、編集中)↓
https://www.youtube.com/channel/UCtNxD0uMG1_-g8wlysU0U0A

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2023年07月01日

触察される側を気遣う技術

触察技術、もしくは触診技術の指南書って、触察される側については、ほとんど触れられていませんよね。
どなたか、それについて不思議に思われなかったでしょうか?
だって、触察が本当に必要になるときって、ボディワーク・セッションとか施術の最中とか、つまり現場(臨床)でですよね。
だったら、そんな中で触察するとしたら、やっぱり「される側」に対する気遣いは必要ですよね?
「される側」を考えないような、たとえば侵入的なやり方をしたら、相手は身を固くしますよ。
身を固くして緊張した身体には、触察どころか、どんな徒手技術も役立ちません。

「される側」を気遣う技術が必要です。


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2023年04月23日

オープンパス・メソッドって、動画を観て真似できる?


「動画を観て同じようにやっても結果が出ない」
それはそうです。申し訳なく思いますが、観てすぐ真似ることができるような技術は、オープンパスには1つだってありませんし、技術の背景にある戦略や理論も意図してYouTubeには公開しておりません。
(「ワーキングメモリ」「言語論」「記憶」「脳科学」などの一般理論については、講義で話していますが)
稀にかなり要領の良い人がいて、「こんな感じか」とやってみたとしても、良くみて25点くらいの内容になるかと思います。

90点くらい取れるなら、その人は天才に間違いなく、オープンパスどころか、どの他の技法体系でも技術的には乗っ取れます。まあ、資格は許されなくても。
だいたいそういう人たちが、いわゆる「創始者」となっています。過去や周囲を見渡せば納得できるでしょう。

オープンパスの特徴としては、正確な触察を基礎に置いた手技力と共感的なタッチがあってこその技術です。
じつは私(小川)は、指先がかなり不器用で、才能的に触察にはまったく向きません。手で物を扱うのも苦手です。しかし、不器用だからこそ、今日の触察力が身についたと思っています。
数えきれないくらいの繰り返し練習と工夫の連続がありました。自分の身体で練習する毎日の中で壊した部分は身体中に隙間なくあります。

オープンパスで触察を習う人たちが私のような苦労をしないのは、たぶん私よりも器用なのと、私たち(小川や斎藤)が苦労したうえでダメだと思った練習法を皆さんにさせないようにしているからだと思います。
昔はそうしたことをお伝えするのがかなり下手で、少し厳しい指導者だったかもしれません(今は年齢と共に丸くなっています)。

とにかく、触察の基礎、そして共感的で高いタッチの質がなければ、オープンパスの技術をYouTube動画を観ただけでは実践できないでしょう。また、そういう作りにもなっています。
挑戦してみてもいいですが、相手に怪我など負わせても責任は持てません。
(私自身、自分の身体で試して、何度も怪我をしています。特に触察や筋膜操作では)
ただし、オープンパスのベーシックセミナーで触察を習った人は、たぶん難なく真似できるでしょう。
(できないという人は、オープンパスの勉強会に参加していただきたいです。今年度は月1のペースでやる予定ですから)

触れることはコミュニケーションです。ラポールが取れていなければ、技術的に何もできません。
触察は文字通り、触れて察するので、ラポールが取れなければ、何の情報も得られないか、間違った情報を得るか、になります。
手技圧にしても、オープンパスには強圧、弱圧という概念がありません。正確に適切な位置・深さに1ミリも狂わず手を置けるか、置けないかによって、結果がまったく異なります。
そして、手技のリズム、方向、速度などを決めるのも、手技による対象部位とのコミュニケーションから得てきます。ファシャワークでもソマティカルワークでも、それは変わりません。
というか、ソマティカルワークのような徒手技術を使わないワークのほうがもっと難しいかもしれません。身体の緊張だけでなく、心の緊張も汲み取って、動き(身体運動)を導くために伝える言葉を作ったり変えたりしなければなりません。

もしオープンパスのYouTube動画を観てくださって、この技術を使ってみたいという人がいらしたら、ぜひオープンパスにお問い合わせください。

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2023年04月13日

生きて、日々を歩く


脳卒中で倒れて、その後、歩けるようになって以来、歩きながら身体を整えていることについて、先日書きましたが、今日は、歩くこと自体に苦労しました。
先日の「自然な一歩」が嘘のような歩き様です。
日々進展というわけにはいかないようです。

しかしこれも、プロセスですし、努力がそのまま実ることなんて、まずないことです。
私は、物事に直線的な因果を求めるほど浅はかではないし、不真面目でもありません。

こんなときは、因果を混乱させて、楽しむしかありません。
科学実験で条件を整えるためにノイズを排除するのと真逆のことをするのです。

私を歩かせるのは、これまでの歩行訓練の成果や、足の持ち上げ方や、今日の良くない体調などだけでなく(もちろん、それらも含みますが)、朝の路で聞く「おはよう」の声、私の発する間の抜けた言葉、心に思い浮かんだ楽しいこと、悲しいこと、嬉しいこと、悔しいこと、近所のソフトクリーム店で味合うソフトクリームの味、コーヒーショップから香るコーヒーの香り、気持ちのよい風、雨で濡れて気持ちの悪い靴、肩に食い込む買い物袋の重さ…そんな物事を因果の中に迎え入れます。

下手な歩きがいつのまにか、違う意味合いを持ち始めます。
私が生きて、日々を歩くのは、豊かな景色が見られるからです。


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